わがまちについて


広島市南区旭三丁目

♪HISTORY♪

◎旭三丁目の誕生
わがまちは、昭和45年5月10日からの住居表示制度に伴い、
旭町から旭三丁目に変わりました。
翠町小学校区ではいちばん東部に位置しており、
世帯数は約390程度でした。





丹那新町からの眺望(西方向:手前は山城町界隈。
写真中央:ブラウン色のマンションが旭三丁目周辺。
右上奥にユメタウン広島本店(皆実町)の赤い看板が見えます)



旭三丁目の位置




旧国鉄宇品線沿いのまちになります。 

(グーグルマップ引用)

黄金山の西側、街の西側には県道仁保線と国道2号線

出汐交差点を南北につなぐ通称「ポッポ通り」が走ります。

徒歩圏内に小・中・高学校・公園・病院(大学病院・県病院含)・
自動車学校・ショッピングモール・コンビニ・商店街があり、

バス一本で広島市中心部(八丁堀)
広島駅にアクセスできる利便性の良い自慢のまちです!

※備考 旭町一 ~二丁目様は大河小学校学区。
私達三丁目は、翠町小学校学校区になります。


昭和45年5月10日からの住所表示制度に伴い、
旭町から旭三丁目に変わりました。

■わが町のシンボル「旭ポンプ場」  
その交差点の先には、南警察署・福山通運宇品支店・
大型銭湯

「ほの湯」があります。

■旭三丁目から眺める黄金山 

電波塔が3本見えます。 木々の色彩で
季節を感じることができます。

春には桜色に染まります

桜満開の黄金山  Fhoto : 2010年 4月

 

■旧宇品線の貨物列車(Wikipediaを引用)・・・懐かしく思います。


■旧宇品線:南警察署交差点の北東側(旭ポンプ場横)に警報機・遮断機・
車止め付き線路・短いホームがモニュメントとして残ってます。

毎月九日: 旭三丁目の日


スローガン: まず行動。 目標決めて 目指そう実現。

合い言葉 : 挨拶と声の掛け合いで、楽しく暮らそう。

○出会いを大切に 

○ふれ愛を大切に 

○支え合いを大切に


新聞掲載したよ!
平成17年から2年近くを要しての協議の結果、町内会は福寿会、
子ども会との協力も得て、町内3か所の道路に愛称をつけました
(平成19年12月に小冊子作成配布)。
親しみやすい名称が決まったことで、町内の活性化や文化、歴史の伝承に役立ち、
歴史的意義、価値の継続により郷土愛を育むことにつながればと期待しております。
また、これに併せて、子ども達とも相談しながら「まちの安全マップ」第1号を作成し、
道路には愛称を記入しました(平成19年8月)。

 

子どもの視線で町を探索し危険箇所をピックアップ。

(夏休みの企画でした)

福寿会のおじいちゃん、保護者、子どもの3世代交流の一環です。



  

この活動は中国新聞に掲載されました。    「安全マップ完成!」


 

 



(体育館) 

旧個体名と現在の状況

国鉄宇品線    大通り(ポッポ通り)
土手          道路(こいわし土手)
樋門          旭三丁目会館
樋の口        第1広場
ポンプ所       第2広場
排水路        道路(中筋)
英(はなふさ)橋  道路(通称 えいぞう橋)



(注)本記述(まちの歴史)は、平成21年3月
「旭三丁目町内会ホームページ」開設時に作成、掲載しましたが、
その後の掲載記事の更新時に操作の不手際により欠落したものを、
平成25年3月に旭三丁目町内会ホームページ登録管理責任者が
当時の資料を基に、再度作成掲載しました。



宇品方面(南方向)

出汐方面(北方向)

本道の右側が旭三丁目になります。

左手に見えるのは

3.ポッポ通り (鉄道跡・交通に貢献・町の西側1.2km)

1)「ポッポ°通り」(鉄道跡・交通に貢献・町の西側1.2km)
対象は、旧国鉄宇品線跡地の道路で、出汐2北東角交差点から
広島南警察署前交差点までの約1.2キロです。
中間地点には、ポッポ広場、南の端には線路のモニュメントがあります。
愛称はここが線路だったことを思い起させ、親しみやすいことから決めました。
軍用道路から始まった旧国鉄宇品線92年の歴史に懐かしさが甦ります。


 

対象は、町内北の端(旭三丁目1番)から第1広場に抜ける
片側歩道付の道路で約0.6キロです。
この地域は、その昔、浅野藩の新田開発で埋め立てられ、耕地となりましたが、
低地のため至る所に水路が出現しました。
この通りは、大水路と呼ばれた排水路で、昭和47年の埋め立てにより
現在の道路になりました。この埋め立てには、四角形の巨大な排水管が
埋設されたため、昭和40年代半ばまで続いていた大雨の度の浸水も、
すっかり無くなりました。


2.中筋(水路跡・水に貢献・町の中央0.6km)

左に見えるのは山城町公園。本道から左側が海でした。この高低差(土手)は仁保島(現在:黄金山)周辺を干拓して造成された歴史を地形から垣間見ることができます。




 





翠町小学校

1.こいわし土手(漁港跡・食に貢献・町の東側0.6km)
対象は山城町公園(元、大河漁港)に沿う土手道で、北はTOPヤマモトから
南は線路のモニュメントまでの約0.6キロです。
「こいわし」とはイリコの原料、カタクチイワシの成魚のことで、この土手は
「こいわし行商」発祥の地です。この行商の人達から、こいわしを刺身で
食べる食習慣が生まれました

旭三丁目の生活を支える3本の通りをご紹介します