わが町の紹介

● 毘沙門台東町内会について 

私たちの毘沙門台東は、権現山の中腹にある毘沙門天山門に隣接する団地です。
毘沙門台学区には、毘沙門台町内会、毘沙門台第二町内会及び当毘沙門台東町内会の3つの町内会があり、
町内会は、平成7年から活動を開始しました。
毘沙門台学区全体の平成
299月末現在の規模は、2,780戸、6,921人ですが、当町内会の会員数は430戸(15.5%)、1314(19%)の町内会です。


● わがまちのロケーション 

南には市中心部・瀬戸内海も遠望でき、付近には、毘沙門天、毘沙門台遺跡、権現山・阿武山への登山口があります。
アストラムライン「毘沙門台駅」から車で5分程度、バスで10分程度で、山陽動車道の広島ICJR緑井駅・大町駅からも近く便利で住みよい町です。

● わがまちのむかし 


毘沙門台東公園内で、弥生時代後期の遺跡が発掘されました。太田川流域の遺跡(可部、高陽、祇園、石内)が2~
3軒くらいの規模であるのに、この毘沙門台遺跡は100軒を超え、太田川流域の中心的な集落であったとされています。

● 毘沙門天の歴史について 
 


毘沙門天は、別名を多聞天と言い、世人に福徳を与えるところから七福神の中に加えられています。
当山御本尊は行基菩薩の作と伝わり、1065年頃この霊山に安置されました。
その後、銀山城主武田家の北方守護神として尊信され武田家滅亡とともに荒廃しましたが、1702年に再興されたのち、1852年に火災に遭い、1854年に再々興されました。


昭和63年(1988)放火により全焼しましたが、平成2年(1990)に鉄筋コンクリート造りで再建されました。祭礼は、毎年旧暦初寅の日と前夜に行われる初寅祭で,御本尊毘沙門天の御開帳が行われ、深夜まで参拝者で賑わいます。

 

平成26820日の土砂災害では、崩れ落ちた土砂により本堂が大きく損傷しましたが、翌年には信者の浄財によって回復され、初寅祭には以前の賑わいを回復しました。

● わがまちの活動指針



毘沙門台東町内会は、上記の通り歴史の古い場所に散在していることから、過去を大事にし、将来に向けたまちづくりを進めています。
「向う三軒両隣のお付き合い」
「子どもたちのふる里作り」
「住んで良かったと思えるまちづくり」

の3本柱で活動しています。
特に春はチューリップ・桜、夏から秋はマリーゴールド、冬は水仙と四季折々の花が咲く「花の咲く毘沙門台東」を進め住みよいまちづくりを目指しています。