弘法さんは、福島正則が蓮華寺を焼きうちした時、谷間に蹴落とされ
た石仏(石碑)を、神仏を尊敬していた崎土井氏が背負って帰る途中
あまりの重さに我慢できなくなり、ついに立てなくなってしまった所に、
お堂を建てたのが現在地だといわれています。

弘法さんの案内板には次のように書かれています。 「石彫不動明王字碑(本尊)の由来」
蓮華寺山の蓮華寺は大同元年(806年) 僧空海(弘法大師)の開基であって、
山頂より畑賀・中野にわたる広大な地域に、大小幾十の堂塔伽藍末寺末坊を
建立して、真言宗の一大霊場として栄えたが、慶長年間
領主福島正則の焼き打ちするところとなり、荒廃に帰した。
里人たちは、廃寺跡より空海ゆかりの碑といわれる本尊をこの地に移
し、傍に空海木像を安置し、堂宇を建立して信仰の中心とした。
近隣相伝え「弘法さん」として善男善女の参拝が後をたたなかった。
本堂は床上160センチメートルの自然石へ不動明王と、字で刻まれ
ており、空海作と云われている。
ちなみに、現在の堂は安政四年(1857年)の再建である。
昔は畑賀の三大祭りとして大変賑わっていたと伝えられるが、今日で
町内会主催にて毎年4月21日弘法さんまつりとして伝承されている。