名所・旧跡・・・・・水谷峡、神社、お寺の紹介
水谷峡憩の森|中須賀神社|品秀寺|弘法さん|曽我神社|御堂山観音堂|観音堂|阿弥陀堂
中須賀神社
神事“大初日祭” | 雪が積もった“殉国慰霊塔” | |
<秋季例大祭>(10月) 神輿(みこし)をはじめ、演芸・神楽・和太鼓・カラオケ・民謡などが奉納され、 祭りを盛り上げています。 祭典前には、赤ちゃんの初宮参りも行われています。 |
祭り前日の獅子舞 | 獅子舞の動画はこちら |
秋祭り前日に、町内の各戸を回ります。 | 酒店の奥さんが、獅子に飲み込まれそうです。 |
前夜祭(よごろ) | |
巫女舞い | 畑賀神楽保存会・神楽奉納 |
本祭典当日 | ||
(絵画をクリックすると拡大できます) | ||
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観音堂・・・・・(影地区)
○ 本尊 千手観世音菩薩 | ||
○ 阿曽沼豊後守祈願所で、庭竜寺と言われていました。
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水谷峡憩いの森・・・・・(水谷地区)
水谷峡は、数多くの滝や巨石があります。 ・1枚岩からなる岩原、般若滝、観音滝は延べ100mは軽く越えています。 ・谷底から垂直に見上げる女岳・子岳・男岳付近は草花、紅葉と春夏秋冬楽しめます ・中腹には、仏様が横になっているように見える烏帽子岩、仏岩。 高さ3mの大日如来坐像。 ・広島市内が一望できるバクチ岩は呉娑々宇山尾根筋中腹にあります。 | |||
大日如来坐像は、当、水谷峡開発に御尽力なされた方々の供養と地域発展の願いを込め、 併せて登山者の無事と幸福を祈り、中山町在住の三浦三成氏(当64才)に依頼し創られたものです。 氏は休日を活用され早朝から暗い谷をランプを片手に重い“のみ”を背負い2月12日~12月7日 までの間、暑い日も寒い日も厭わずに一心に彫り続けられ82日を要し完成されたものです。 (平成元年十二月吉日) 水谷峡憩の森管理会 |
水谷峡にはいろいろな顔をした岩や滝があります。 | ||||
<バクチ岩からの眺めはサイコーです> | ||||
女岳 | ハンド岩 | バクチ岩 |
岩原、般若の滝、観音滝と一枚岩から出来ています | 烏帽子と仏岩、大日如来坐像が畑賀の町を見守っています | |
岩原 | 烏帽子と仏岩 | 大日如来坐像 |
法六谷桜園地では、桜がきれいで、毎年4月10日前後が見どころです。
山頂には休憩所があり展望もよく、春だけでなく休日には家族ずれで賑わっています。
秋には、まぶしいほどの紅葉を見ることが出来ます。
山頂:さくら並木 (数種類の品種が混在しています) | 岩原の紅葉 | 中腹:休憩所の紅葉(平成19年12月2日) |
2007年には新たに休憩所を造りました。落成式には各町内会長さんにご参列いただきました。 | ||
2007年3月棟上げ | 2007年8月完成 | 2007年9月落成式 |
曽我神社・・・・・(水谷地区)
その後、昭和初期に地元の有志により現在の地に再建されました。正式には、7月14日が祭典日ですが、
最近は14日前後の日曜日に行っています。
★『祭り当日にはキュウリを食べてはいけない』と伝え聞いています。
平成22年度は22名の氏子が参られました。 | |
品秀寺(ほんしゅうじ)
塔頭(末坊)二十九の一つ「谷ノ坊」とし誕生しました。
やがて慶長の初め、蓮華寺は廃寺となり、すべてが焼失しました。
同七年(1604)に「谷ノ坊」が浄土真宗の寺として再興され、慈雲院品秀寺となりました。
現在の本堂は文政五年(1822)に、山門・鐘楼と共に建立されたものです。
蓮華寺の歴史より考えれば、1200年にも及ぶものとなります。
本堂正面から | 本堂 |
本堂の改修工事について | (平成22年:本堂が老朽化の為、改修されました) |
仮本堂建築 | 本堂屋根工事完了 クリック→ 品秀寺屋根.PDF “品秀寺だより” |
お寺の境内に大きな“やまもも”の木があります。 | |
弘法さん・・・・・(奥畑地区)
た石仏(石碑)を、神仏を尊敬していた崎土井氏が背負って帰る途中
あまりの重さに我慢できなくなり、ついに立てなくなってしまった所に、
お堂を建てたのが現在地だといわれています。
「石彫不動明王字碑(本尊)の由来」
蓮華寺山の蓮華寺は大同元年(806年) 僧空海(弘法大師)の開基であって、
山頂より畑賀・中野にわたる広大な地域に、大小幾十の堂塔伽藍末寺末坊を
建立して、真言宗の一大霊場として栄えたが、慶長年間
領主福島正則の焼き打ちするところとなり、荒廃に帰した。
里人たちは、廃寺跡より空海ゆかりの碑といわれる本尊をこの地に移
し、傍に空海木像を安置し、堂宇を建立して信仰の中心とした。
近隣相伝え「弘法さん」として善男善女の参拝が後をたたなかった。
本堂は床上160センチメートルの自然石へ不動明王と、字で刻まれ
ており、空海作と云われている。
ちなみに、現在の堂は安政四年(1857年)の再建である。
昔は畑賀の三大祭りとして大変賑わっていたと伝えられるが、今日で
町内会主催にて毎年4月21日弘法さんまつりとして伝承されている。
御堂山観音堂・・・・・(水谷地区)
お伺い地蔵を新設 | |
手水鉢 | |
○ 本尊 弥勒観世音菩薩 救世弁財天観世音菩薩 | ||||
○ 弥勒観世音菩薩は、弥勒菩薩と観世音菩薩の合体仏でまれな観音さまです。 | ||||
○ 救世弁財天観世音菩薩は、救世観世音菩薩と弁財天の合体仏で、水谷峡の | ||||
名勝水谷峡の「歓喜峰」の岩の間に生えているハゼの木(中央に見える木) |
祭りのようす) | 水子地蔵 | 餅まき |
お伺い地蔵を新設 | かわいい地蔵さま | おでん |
阿弥陀堂・・・・・(為角地区)
○ ご本尊 阿弥陀如来:この阿弥陀如来像は行基(奈良時代の僧(668~749))作と伝えられて います。 |
○ 石津畑賀・佐伯土佐守忠久の菩提所(13世紀初)と伝えられています。 |
○ 自然石の手洗い鉢(境内) これは、盃状穴といい、盃型をした穴で女性を象徴した宗教的な意味をもっています。 原始的信仰の名残で中国から朝鮮を渡ってきたものです。 矢野町では、穴に水を入れてかきまぜイボにつけるとイボが取れるといういいつたえが あり「イボ落ち水」ともいわれています。 |