お知らせ

 
                                発掘された土器の一部

 
  昭和20年頃(1945)の航空写真です、赤丸の所が土器の出た所です 山の形は先人たちが生活していた当時と大きく
 変わることはないと思います。

 
  土器の一部は公民館の2階に展示しています。土器に混ざって石斧(いしおの)も出てきました。
 


 

 

お知らせ

戸坂新町より土器が出土しました
 戸坂新町2丁目在住の屋外広告業 吉和賢二さんが,母屋の隣に車庫を造ろうと掘削を始めた所に土器が出土しました。土器の発掘調査が済まないと車庫を造ることができません。
 広島市在職時には文化財担当の課長の要職にあり,多くの遺跡調査に関わってこられた檜垣 栄次さんに発掘調査の現地指導をいただきながら、戸坂アーカイブス委員会の品田良会長を中心に,地域のボランテア10数名の協力をえて11月から12月にかけて発掘調査をしました。多くの土器が出土しました。出土した土器は弥生時代後期から古墳時代前期の物だそうです。
 浄厳寺北遺跡と命名されました。




 檜垣 栄次さんのコメント
 こんなに 状態のよい土器が多量に出土したのは、東区では初めてのことです



             出土も終わりと思われ、当日の参加者で記念撮影をしました。