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わがまちについて

わが東中地第一町内会の区域は、八幡東一丁目(別町内会の日の木団地地域を除く)と 八幡東三丁目の南側部分です。

まちの北側は生協さえき病院の駐車場南側を東西にはしる道を境界にし、南側は八幡川、西側は石内川が境界しており、東側は鈴ケ峰の山すそを境界としています。

DSC_2758 東中地第一町内地図 

かつては田んぼが広がる八幡地区の一角でしたが、まちの南北を抜ける石内バイパスが1996年に開通してからは大型スーパーやコンビニや各クリニック及び様々な業種の大小店舗などがコンパクトに立ち並ぶようになりました。

山と川が身近にあり豊かな自然と穏やかな住環境が調和した過ごしやすいまちです。

まちの歴史

わがまちの元を辿るとかつてあった中須賀(なかすが)村の中にあり下記のような変遷を経ています。

中須賀村は明治15(1882)年に寺地村と合併し中地(なかじ)村となり、中地村は明治22(1889)年に高井村、口和田村、利松村、中地村、寺田村、保井田村が合併し八幡村になります。八幡村は昭和30(1955)年に五日市町、河内村、観音村、八幡村が新設合併して五日市町になります。五日市町は昭和60(1985)年に広島市に編入します。       (五日市町誌より)

合併する前の中須賀村の戸数-人数は文政8(1825)年の貸出帳によれば近隣で最も多いと記されています。

 (芸藩通志()より)

八幡村/中地村/中須賀村  合併する前の各区域

(五日市中央のまとモノかたりより)

八幡村/中地村/町内会

(五日市町誌より)

明治41年に政府の勧奨に従い保井田村社大歳神社、境内社竈神社、寺田村社宝神社、利松村社新宮神社、無格社古保利神社、口和田村社大歳神社、高井村社稲荷神社が寺地村社稲生神社の地に合併合祀して大正神社となる。昭和3年には中須賀村社八幡神社も合併して「村社八幡神社」と改称し現在に至る。中須賀村は古老伝として、神功(じんぐう)皇后西征より御帰還のみぎり御船着きし給う由縁により鎮座と伝えている。           (八幡神社略記より)

因みに神功皇后西征とは古事記・日本書紀に出ており第14代仲哀天皇の皇后で第15代応神天皇の母である神功皇后が神託を受け朝鮮へ三韓征伐(新羅、百済、高句麗を帰服)して大和へ帰還したという逸話です。古老伝の意味は、神功皇后の一行が三韓征伐から大和へ帰還途中に八幡川河口辺りに寄港されこの地に立寄られた由縁で神社を祀っている。

八幡神社の名だけは残した旧八幡神社の跡は生協さえき病院辺りの裏山に敷地があり石階段のみがひっそりと残っている。

わがまちはそのようないわれのある中須賀の一角にあったということは忘れずに語り継げたい。

 旧八幡神社跡06

立ち入りを拒む竹藪の先に静寂な旧八幡神社跡

 電柱銘板+

 まちの一部の電柱の銘板に中須賀の名が