井原地区には、「鍋谷城跡」をはじめとする中世の山城と、堀切り、土塁、井戸、城主の館跡など関連遺構が
ほどよく残り、複数の古文書にもその所在が記録されています。
「井原郷土史研究会」は、井原に関する歴史調査記録、文献や文化財などの資料収集などを行っています。
トピックス
ふるさと井原のみどころ「井原八景」について
私たちのふるさと井原について、いつの時代からか「井原八景」と呼ばれるようになった見どころポイントがあります。
それぞれ四季おりおりの風情を見せていたと思われますが、川岸や橋のかけかえ工事などがすすみ、
その眺めは大きく変わってしまったところもあります。
私たちの先祖がどのような思いでこの地の景色を眺め、また、その風情に浸ったか、ぜひこのポイントに立ってみませんか。
スケッチ:中川幸子さん(井原郷土史研究会 会員)
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①鍋谷城の雪
姿は富士山のようでたいへん美しく、その山が雪を
いただいた姿はこの上ないものです。
②井原大橋の夕涼み
コンクリート製の橋にかけかえられるまでは、木造
の橋であったと思われます。
ユカタを着て木造のらんかんに腰をおろし、夜風に
涼む情景が浮かんできます。
③金明山の夕日
井原の中心地から眺めると北西に位置する金明山。
この金明山に沈む夕日の、幻想的な美しさを表した
ものです。
掲示板
家並み調査・保存プロジェクト
今はすっかり空き家・空き地が増えてきた井原市の通りは、かつて商店が軒を並べていました。
毛利元就・輝元の時代から、吉田郡山城と広島城を結ぶ重要路線『中郡道(中筋往還)』として整備され、
志路、有留、保垣、長田、坂へと通じる往還の集合地としても便利なこの場所にはやがて市が発達して
物資の流通が盛んになっていきました。
「昔の賑やかだった井原市の家並みを地図に書き込んで残しておこう!」
ある会員のつぶやきに、「映画館もあった。牛の競り市もありよった。」と話は弾んだものの、
いざ、現在の地図を開いてもなかなか当時の風景は浮かんできません。
会員がグループに分かれて、古老に話を伺いながら地図を埋めていきましたが、
今元気で当時を語られる方が少なくて、終戦前後(昭和20年頃)までしか溯ることは出来ませんでした。
23年度は、各方面の協力を仰いでこのプロジェクトを形あるものに仕上げたいと思っております。
おしらせ 中国新聞 2011年9月8日付け朝刊 広島圏域(24面)に記事掲載 !!
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にぎわい再び 町並み調査 (現在、記事には行かれません!)
「終戦前後と今の井原市商店街図」 完成!
いよいよ待望の町並み絵図が出来上がりました。
以下に、会員向けの便りを転載して、皆様にもご覧頂きたいと思います。
平成24年2月27日 会 員 の 皆 様 井原郷土史研究会便り (第134号) 立春とは名のみの寒さがつづいております。 いかがお過ごしでしょうか。 このたび「終戦前後と今の井原市商店街図」が出来上がりましたのでお届けいたします。 振り返りますと、 地区の皆様への聞き取り調査をスタートしたのが平成21年の夏でした。 その後は調査結果の記録や収集した写真のレイアウトをもとにデザイン会社との打ち合わせ作業などをかさねてまいりました。 時間はかかりましたが、 懐かしい写真にかわいい文字とイラストの構成で、 かなり楽しめるものに仕上がったのでは・・・・と思っています。 今後は、 地域内外の方々にひろく 井原のことを知ってもらう運動につなげてまいりましょう。 ご協力いただいた皆様に感謝申し上げると同時に、安佐北区役所区制振興課さん、それに白木公民館さんに多大なバックアップをいただいたことを併せてご報告申し上げます。 以 上 |
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