わがまちについて

【沿革】
1.井口の由来
   井口の地名の由来として、三つの説があります。
  まず、その一つは湧水とのかかわりです。今と違って、昔はその土地の湧水は、
  まさに命の源でした。とりわけ井口の漁師たちは、とても水を大切にしていまし
  た。安芸の宮島から五日市、井口、草津の浦づたいの海岸で一番おいしい水は
  「命の水」と呼ばれ、「井戸の口の水」、さらには「井口の水」と言われ、地名
  も「井口」と言われるようになりました。
  二つめは、「鯛が鼻」から「小己斐明神」の方に突き出た地形が猪の口の形に似
  ているところから「猪の口」そして「井の口」続いて「井口」となったという説
  です。
  三つめは、井口は美鈴川か八幡川の水を堰き止めて、ここから田に水を引いたの
  で「堰の口」が「井口」となったという説です。
2.町の歴史
   佐伯郡井口村(S30年10月国勢調査、人口1,951人)は、昭和31年11月1日広
  島市と合併し広島市井口町になりました。
  昭和42年~46年の5か年工事により西広島バイパス開通、昭和42年~57年に.か
  けて沖合いの海を埋め立てて西部開発土地造成、併せて昭和42年~57年にかけて
  鈴が峰南麓に10ヘクタール以上の大規模な住宅地が鈴が台、鈴が峰、井口台の三
  地区が造成され、商工センター、井口明神、草津新町、鈴が峰、鈴が台、井口台
  などの新しい町がたくさんでき井口地区は大変貌を遂げました。
   井口台は、西広島バイパスが井口鈴が台団地の北方に開通することを見込み、
  三菱地所がバイパスの北方鈴が峰.の中腹までみかん山、桃山、水田などをつぶし
  雑木を伐って住宅団地(開発面積約601,000㎡ 約18万坪)ぞうせいを計画しま
  した。昭和46年頃までに土地買収が終わり、昭和57年に団地造成工事がほぼ終わ
  りました。
   名称を「井口台パークタウン」として、井口台一、二、三丁目に分けられまし
  た。その後、団地の東側の鈴が峰山を削り宅地造成し四丁目となりました。
  また、高層の大型マンションが相次いで建設され、令和2年12月末日現在人口
  7,123人(男3,423人、女3,700人)世帯数2,965世帯の大きな町となっています。
3.地域の特徴
   井口台は、井口の山地丘陵部に開発造成された団地で、後には「鈴が峰山」が
  そびえ、前には波おだやかな瀬戸の海がひらけ、そのうえ遙かに日本三景の一つ
  で世界文化遺産の安芸の宮島、あまんじゃくの伝説で知られている津久根の島が
  浮かび、安芸の小富士と呼ばれる似島等の島々を望むことができる風光明媚な町
  です。
   団地内には.幼稚園、小学校、中学校、児童館、の教育・児童施設をはじめ、集
  会所やタウンセンター(内科、皮膚科、歯科、調剤薬局、保育園、学習塾、飲食
  店)大型スーパーマーケット2店、コンビニエンスストア2店、郵便局、銀行、
  飲食店、パン屋、菓子店、花屋、美容院、フィトネスクラブ、テニスクラブ等々
  の生活利便施設が揃っています。また、近隣公園、児童公園が7か所あり、桜の
  名所として満開の時は花見でたいへん賑わいます。
   便利で快適な生活を送れる町ではありますが、坂道が多く高齢者や足の不自由
  な方にとっては買い物、通院等が難しいこと。また、高層マンションの増築に伴
  い町内会加入率(令和2年4月現在49.3%)が低下し町全体の相互扶助、防災活
  動、コミュニケーション活動に支障をきたしていること、および町内会役員・社
  恊役員の担い手不足等の問題も抱えています。