◎祭りだワッショイ・ワッショイ特集
両延神社の例大祭が下記のとおり実施されました
10月24日(土) 午後7時: 宵祭祭典斎行
午後7時半: 神楽奉納(島根県 松原神楽社中)
10月25日(日) 午前10時半: 大祭祭典斎行
正午より: 神輿奉納
午後1時より:民踊、民謡、舞踊、等奉納 餅撒き,奉賛茶会、華展等
↑ 祭典の準備が整った鳥居前 ←祭典を前に本殿・幣殿・拝殿 | ↑ 祭礼当日の両延神社の社叢
|
御祭神 応神天皇 神功皇后 神武天皇 天児屋根命 多紀理毘売命 市寸島比売命 田寸津比売命 |
御由緒 往古より「可部の宮」「西の宮」とも称され旧安芸国高宮郡可部之庄大毛寺村白石山御鎮座の社で漢弁の庄(河辺の庄)の総鎮守として、又地方一帯の守護神として人々の篤い崇敬を受けてきた社であります。 御鎮座年代は詳らかでありませんが宝亀元年(770)光仁天皇の御代勅宣により安芸国河辺庄大毛寺八幡両野辺山下三百四貫を神領として許されたとある古文書等から考えますと凡そ千二百年前には既に御鎮座あったものと推定されます。後、天仁二年(1110)には鳥羽帝の勅状により東西二十八丁領有、平治二年(1160)二条天皇の御代五十丁の領有を許されております。更に建久元年(1190)時の銀山城主武田朝信公が宇佐八幡宮の分社を下四日市村に御勧請、建長五年(1253)信時公、白石山に奉遷、爾後「八幡宮」とも称されることとなりました。 くだって宝永三年(1706)近郊十二ヶ村の氏子により再建造営され総氏神として崇敬維持されるようになり現在に至っております。 両延神社社史より抜粋
|
可部防犯組合連合会の防犯相談所 | 沢山の人出 | 人出 | 立ち並ぶ屋台店 |
島根松原神楽社中による奉納神楽 | 同左 | 同左 | 同左 |
各自治会・町内会ではそれぞれ趣向を凝らしたお神輿で町内を練り歩いた後、両延神社に奉納しました
【特集】~は組(虹山三区)お祭り神輿の変遷について
昭和47年~昭和55年 俵神輿
| ||
昭和56年~昭和59年 樽神輿+本神輿
| ||
昭和60年~昭和62年 花神輿+本神輿
| ||
昭和63年~平成 3年 鯛神輿+本神輿
| ||
平成 4年~平成 7年 宝船神輿+本神輿
| ||
平成 8年~平成11年 2代目花神輿+本神輿
| ||
平成12年~平成14年 伊勢エビ神輿+本神輿
| ||
平成15年~平成16年 獅子頭神輿1号+本神輿
| ||
平成17年~平成18年 獅子頭神輿2号+本神輿
| ||
平成19年~平成20年 獅子頭神輿3号+本神輿
| ||
平成21年~ 天狗面神輿+本神輿 制作を担当した主なスタッフ(順不同) 制作責任者の谷本勲さんは、『地域の町おこしのためにみんなのノウハウの結集と、材料を提供して下さった友鉄ランドのお陰と……』2ヶ月の大役をすませホットしたとの事。
|
天狗神輿製作作業〔8月中旬から正味2ヶ月掛かりました)
鋳型用の発泡スチロールのブロックです | 材料を型紙に沿って成形します | 塗装しやすいように表面の処理をします |
山門を通るために鼻は取り外し可能としました | 形も整い表面処理も済みました | スプレーで色付け作業です |
大分天狗さんの雰囲気になりました | 細部の仕上げ作業です | 台車も含めて完成しました |
とんど |