「己斐」という地名の由来

「己斐」という地名の由来 ご存知の方もたくさんいらっしゃると思いますが、

改めてその由来を調べてみました。

旭山氏神八幡社の縁起には以下の記述があります。

現代用語に、己斐に関係するところを直訳してみますと、

次のようになると思います。

神功皇后が、朝廷に反抗的な熊襲(くまそ)を退治に行くときに、

安芸の舟着というところに船をおとめになり、

旭山にお登りになりました。

そのときに船をお止めになられた場所を 船着といいます。

その時、この地を治めていた主(あるじ)が、

大きな鯉を皇后様に献上したところ、

皇后はたいそうお喜びになり、

主を呼び寄せ 鯉(こい) 鯉(こい) といわれたということで、

この地の地名を こいむら と呼ぶようになったそうです。

この話は西暦180年頃の話です。

「己斐」という名には、

天皇家とも因縁があることが推しはかられます。

小さな歴史の1ページですが、ほこりが持てる気がしました。

 

                                            西山敏幸(町内会設立30周年記念誌より)

私たちの「イトーピア」は新しく開発された団地ゆえに

残念ながら歴史といえる記録は多くはありません。

しかし、明治18年に才崎山と呼ばれていた、

現在の己斐東2丁目から中2丁目にかけて、

浅野候の庭園 「百花園 」が創設され、

観音堂と稲荷社が建立されていた土地柄です。
また、観音堂には毛利輝元候が彫られたといわれる
千手観音菩薩像(木像)が祀られています。