あんなこと こんなこと
名勝・陸前高田松原の流木松を仏像に再生
昨年の東日本大震災の津波で流され戻り着いた名勝・「高田松原」の松を使って仏像が制作されています。通常は「ヒノキ」を使うところですが、震災犠牲者の鎮魂と被災地の復興を祈り、この松を使うことになったそうです。
この制作過程において、「1万人のひとノミひと削り」として、これまで陸前高田市、宮城県釜石市、大阪市など全国各地の約5200人の方が鎮魂のお祈りと共に、ひとノミを入れておられます。(2011年11月現在)
ブータン国王・王妃も「ひとノミ」を入れられたそうです。
完成後は京都清水寺に奉納され皆様にご参拝していただけるようになります。
実は、この仏像を制作されている京都伝統工芸大学校の須藤先生が、観音堂の「不動明王」を制作された方で、流木松から仏像を制作される時にでる木片の一部を「お守り」として再生されました。
その中から、観音堂に七つの「お守り」をお送り下さいました。
観音堂の聖海住職は、「イトーピアの安全・平和」を願い、そのうちの一つを堂内に納めておられます。
昨年、町内会として、また個人的にも多くの方が義援金その他を贈られましたが、
今度は、被災地・陸前高田からの「お守り」を頂く「ご縁」となりました。
なにはともあれ、被災地の一日も早い復興をあらためてお祈りしたいと思います。
小鉢に30年近く植えておられた松を久しぶりに植替えるのを谷口造園で
見学させてもらいました。
鉢のまわりをヘラのようなもので、なじんだ土を切り離し、底からやさしく押し上げて鉢から松の根の塊をとりだし、根の若返りをするために、長い古い根を少し剪定。
土の表面についたコケも少し取り除き水の通りを良くされていました。固まった古い土は、やはり水の通しが悪いので新しい土に替えておられました。
細かい土は、根ずまりを引き起こしやすいのでよくないようです。
「鉢の植替えや株分けは、春のお彼岸ごろが一番いいんですよ。
星座を楽しめた夜も明けるのが早くなりました。
瀬戸内の海や山々にかかる朝もやを見ていると「まほろば」という言葉が感じられます。
今年はメジロの訪れが遅いのか、少ないようです。
その代わりに、わが家には今朝「シジュウカラ」が遊びにきていました。
先日は配水地の近くでおとなのタヌキに出会いました。
よく太っているところをみると山にはエサが豊富なのでしょう。
それにしてもイトーピアは自然が一杯で朝の散歩が楽しいところです。
「なぜ 石うすに 湯をはるのですか?」
素人ばかりの今年の「もちつきパーティー」。
飛び入り含め39人の大人と約10人の子供たちとの交流会が行われました。
「初めてやったんですよ。」棚町さんの「合いの手」役のお蔭で、なんとか目標の400ヶのおもちができたようです。
「2うす目はこね方が少し足りなかったようですね。」
などの声に反省しながら7うすつきました。
今では使わない表現ですが、13升(1斗3升)18キロを大人も子供も、男も女もついて遊びました。
石うすに熱湯をいれるのは、せっかくむした米をうすにいれた時に、うすが冷たいとむした米がさめて、出来上がりが悪いという話でした。
キロ表現と升表現の換算も含めて、時代の違いが感じられます。
しかし、時代は変わっても、表現が変わっても、年齢が増えても、
人間は、人との交流こそが元気の秘訣です。
子供達も巣立ったりして、なんとなく物足りない日常の中で、よその子と遊び
教えていくのも楽しい生き方です。(教わることが多いかな)
日本の良いところ、春夏秋冬の季節を子供たちに見せてあげながら大人も楽しむ町内は理想です。
4月8日(日)には「花見をしようで・・・」
5月には「たけのこ」を取りにいこうぜ・・・。
いろいろなプランが話されています。
都合の付く人、タイミングが会う人で、無理な「つきあい」ではなく気楽な
町内での遊びを楽しみましょう。
思い出した 「西部劇」
アメリカ西部を開拓した人達は、仲間たちとの親睦・友情を深めるために
近くの空き地に集まり、みんなで踊りを楽しんでいたようだ。
大声をあげて、はしゃぎながら老若男女が輪になって踊っているシーンは
西部劇映画でよく見られる光景だ。
誘われて「スクエアダンス」とやらに参加し、説明をうけ、やってみたら、
なんとなく「西部劇」の一シーンを思いだした。
ある人は、草原で踊る「ハイジ」のような感じだとも話しておられた。
日本の「盆踊り」でもそうだが、多くの人が参加してやってみたら楽しい
「踊りの輪」ができるだろうと思う。
ダンスといっても、フォークダンスのようなもので基本動作の5つも覚えたらすぐに輪にとけこめる簡単なものだ。
普段着で気楽にできるのが良い。新米ばかりだから、失敗も愛嬌。
「季節感」ある町作り。
子供会が子供達に見せて、体験させてあげたいと始めた「秋祭り」。
その後、大人も子供も楽しめるイベントとして「もちつき」「門松立て」などにも取り組んできました。
「言葉」は知っていても、久しく体験していない、見たこともない
季節の行事。ふれあい作りの良いチャンスにならないか・・・。
昨年、初めて飾った集会所前バス停の「門松立て」。
多くの方に喜んで頂いたので今年も「門松作り」に挑戦してみました。
昨年は谷口造園の社長さんに「おんぶにだっこ」でしたが、今年は9人の
町内の男性軍が参加してくれて昨年の反省を加えながら取り組みました。
「門松作り」にもそれぞれに意味が込められているようでした。
竹は一番長いのを左右の内側に置き、低いのを外側に配置して「八の字」型に見せて、「末広がり」を意味させているそうです。
また、よくみて頂くと「コケむした梅の古木」があります。これは長寿を願う意味が込められているようです。
さらに、「はかま」と呼ばれている土台部分を締めている「縄の結び目」は
正面にもってきています。「福縁を結ぶ」ということでしょう。
ひとつひとつに意味を持たせて季節を楽しんだ先輩の思いを確認しながら、
「昔話」にとどめないで、今、現在でも楽しんでいきたいものです。
「震度3」の地震に驚いた11月25日早朝。
5:30 愛犬と散歩に出かけるときに空を見上げたら明るい星のようなものが流れていた。(動いていた。)なんだろう?
小学生の時に教えてもらったことはあったけど、その後、関心もなくなり、
こんなに朝早く外に出ることもなかったので気がつきませんでした。
朝の星空も結構いろいろあって楽しいものです。
あの光る物体は何か?あの星は「北斗七星」か?を確認するために、
広島市こども文化科学館に電話して聞いてみました。
調べてみると「ハッブル宇宙望遠鏡」というのはNASAが天体観測のために打ち上げた人工衛星だということでした。
また、「北斗七星」は、今、イトーピアから見える時は、「ひしゃくの形」が下向きになっているようです。(水がすくえずに、こぼれる形のひしゃくの状態)
まちがいなく「北斗七星」だ。(今晩、確認してみよう。)
参考までに、星座というのは、夜8時頃に見える星空をさす言葉だそうです。
あんなこと こんなこと
H23 秋祭りの反省会
10月22日夜 「祭りの会」10名で反省会を行い、
皆さんから熱心に反省点があげられました。
反省内容の一部をご紹介しましょう。
① 大人の俵を担いだ人達がきつかった。
② 木遣り唄の歌い手が少なかった。
③ 巡行の道筋が指示通りにいかなかった。
④ 子供たちが手持ち無沙汰でただ歩くだけの子供が多かった。
⑤ 飛び入り参加の子供が多く、はっぴが足りなかった。
⑥ ご褒美のお菓子をもらえない子供がでた。
⑦ はっぴの運搬用の箱が大きくて持ち運びしにくかった。
⑧ コースから外れたご祝儀の対応に四苦八苦した。
⑨ お接待・巡行の説明不足・指示の不徹底で少し対応が混乱した。
これらについて、原因の確認、対応を協議し、優先順位を考えながら
来年は役割分担を明確にし、巡行順序など改善していき、皆様に少しでも喜んでいただける「秋祭り」にしたいと思います。
イトーピアの男たちも、ヤル気です。
やはり神様は「秋祭り」を喜んで下さっておられるのですね。
心配していた天気も、一転、絶好の「祭り日和」でした。
せっかく張っていただいた「しめ縄」も紙垂(しで)が飛んだりしてお手数をおかけしました。
多くの子供さんが参加してくれ、お父さん方も元気をだして「たわら」を担いでくれました。約40Kの重量は、さぞや、身体に応えて翌日のお仕事もきつかったことでしょう。
マンションでは事前の準備で「たわら台の設置」「トイレの掃除」
などありがとうございました。第2公園、第3公園では子供会のお母さん方がお接待をしてくれてありがとうございました。たいへん和やかにされて楽しそうでした。
一組では、初めての組単位でのお接待でお世話になりました。
集会所では多くの方にお接待を受けもっていただき本当に有難うございました。
天気に恵まれましたが、多くの住民の皆様に「お手伝い」をして頂いたことが最大の「「恵み」だったと思います。
やっぱり「お祭り」は多くの人で盛り上げるのが一番大事でした。
「たわらもみ」を見たいけど、外に出られないので残念に思っていたら、家の前まで来て下さったので、見ることができました。ありがとうございます。という声がありました。
久しぶりの再会を喜ばれる笑い声もあちこちで起こりました。
皆様から頂いた「浄財」もしっかりと検討を加えて使わせていただきました。次の回覧でご報告いたします。
本当に 皆様 有難うございました。
「祭りの会」一同
「イトーピア単独の秋祭り」昨年末から検討を加えてきましたが、
ようやく準備が整いました。
何もないところからの準備開始。
「たわら」はどこで買えるのだろう?いくら位かかるだろう?
インターネットで調べてみたが、町内会中野副会長の知り合いから北広島町の「わら細工の達人」に格安に作ってもらったのが、残雪のこる春でした。
「たわら」はできたが「かつぐ」台をつくらねば・・・。
次に「たわら」をのせる横板に塗装をし、いよいよ「かつぎ」台の
組み立てです。かつぎ棒を横板に組み込めるように削ってボルト締め。
ボルトがかつぐ人にあたらないように埋め込みました。ギリギリの長さのボルトで、指が入りにくい小さい穴を寺内さんの器用な指先できっちりと締め込み「かつぎ」台が完成。
しかし、祭りの「花」木遣り唄を歌える人は谷口さんと、寺内さんだけということで急きょ練習。
しかし、木遣り唄は簡単に歌える訳はありません。「録音して流そう」
「たわら」を飾る竹は東1丁目の岩原さんの竹林から切らしてもらうことになりました。
「ご祝儀感謝札」は川崎さん、松川さん、宮原さん達で手作りしてくれました。
町内の皆様には浄財「ご寄付」をいただき、「しめ縄」も張っていただき、いよいよ16日を迎えます。
現在のやり方が最良の「祭り」だとは思いませんが、毎年工夫をしながら、一人でも多くの方に喜んでいただけ、子供達にとっても良い「思い出」になるように、みんなで手作りしてがんばっていきたいと考えています。
「私の子供時代の思い出で、印象に残っているものの一つに秋祭りがあり、自分の子供にも「秋祭り」の楽しさを味わわせてあげたい。」
そんな子供会の親御さんの思いから「秋祭りの俵もみ」巡行が
イトーピアでも始まりました。
日本中いたるところで行われている「秋祭り」をイトーピアの子供達にも、見せてあげたい、楽しませてあげたい。
準備にあたる町内会、子供会の人達の思いです。
イトーピアでも高齢化がすすむ中、お互いのふれあいの場作り、
「きずな」作りが今こそ求められています。
そうした背景を考えると、子供達のための「秋祭り」だけではなく、大人も一緒に参加し、楽しめる「秋祭り」にしたいと考えています。
現在の「秋祭り」の形態、やり方、内容が最良のものではありません。みなさんの意見を取り入れながら、少しでも本当に楽しめる
10月16日(日)10時イトーピア・マンション出発。
これまで中2丁目と合同で開催していましたが、
今年からイトーピアだけで開催することとなりました。
目下、いろいろ準備中です。
資金の蓄えもなく、ハッピなどレンタルでも揃えています。
若干、ハッピがたりない事も発生しそうですが
よろしくご理解下さい。
一番苦しいのは、祭りで唄われる「木遣り」です。
これまでは中2丁目の方が歌ってくれていましたが、
今年からは、イトーピア住民で歌わねばならず、
現在、6名位で練習中です。
素人が歌うので、音程、調子もうまくいきません。
この克服には、多くの人間で大きな声・音にすることです。
大きな声を出す事は健康にもよいそうです。
ぜひ、一緒に練習しながら、当日に大きな声を出しましょう。
練習日は、毎月の第1と第3の土曜日19:30から約30分間
集会所でやっています。
ぜひ、ご参加ください。尚、飲み物代として一人一回300円必要です。
あんなこと こんなこと
一組の渋谷さんの玄関には、「陶芸」が展示されてます。“
地権者約220人の了承を得て、昭和40年頃から始まったイトーピア団地の開発事業。
団地開発中に発生した「大洪水」はイトーピアの下に広がる町に大きな土砂災害をもたらしたようです。
昭和47年頃にはオイルショックが始まり、イトーピア団地を購入された方も、建築価格の上昇に建築時期の判断に迷われた方も多かったようです。中には建築「見積」が500万円から1800万円に上昇したケースもあったようです。
さらに金利上昇により判断を迷われた方も多かったようです。
ガソリン代はリッター当たり51円から58円、さらに66円~97円と高騰し
た時代でした。
あんなこと こんなこと
お遍路の作法
山門にて 合掌し、一礼する。
仏様が山門までお迎えに来て下さっていると感じます
帰るときも、見送って下さっています。
手洗いで 手を清める
本堂にお参り
納め札、線香、ろうそく
供物料としてお賽銭を納める
念珠をすり、合掌してお経を唱える。
線香3本、ろうそく1本。
線香は、お祈り中にお迎えしている仏様を香でもてなします。
ろうそくは心に灯す知恵です。
大子堂に行き、本堂と同じ要領でお参りします。
あんなこと、こんなこと
般若心経の意味
「観音さまは深い智慧に至る修行をし、この世界をなす五つの要素に実体はないと知り、苦を離れ、悟りを得られたのだ。」
舎利子(お釈迦様の弟子の名前)よ
「姿あるものは常に移り変わる。移り変わり、姿を変えるのが我々が生きる世界の本当のあり方だから、目に映り、感じ、想い、行い、知り得たと思うことに、実体はない。」
舎利子よ、「仏の目で見ればこの世は移り変わっているだけなのだ。生じているのではない、滅してもいない。汚れもせず、汚れを離れることもなく、増えも、
減りもしない。」
舎利子よ、「移り変わる世界で、自分が目にし、心に思い、行い、知ったと思うことも実は存在しない。眼や、耳、鼻、舌、身体、心に映るもの、ものの姿、声、香り、味わい、さわり心地、ここちよさも移ろうだけのものである。
眼にうつり、意識されるものに実体は無く、迷い、悟り、老い、死、老いと死がなくなることも空そのものである。
苦も、苦の原因も、苦の消滅も、苦を抑える道も・・・そして知ること、得ることすら実は存在しない。移ろうのものをとらえられないように。
観音さまは、般若波羅蜜多によって心を安んじていて、自分と他者を区別することもない。その状態に安住しているから、何に対する恐れもない。
顛倒した心を遠く離れて、永遠の安らぎに入っているのだよ。
過去・現在・未来の三世のなかでこの真理に目ざめる人々は、永遠の安らぎを与える般若波羅蜜多の智恵によって、この上ない悟りの状態に入るのだ。
その般若の智慧は大いなる真言である。
大いなる悟りの真言、無上の真言、無比の真言であり、すべての苦しみを取り除く。般若波羅蜜多の呪文なのだ。」
その真言は次のように説かれている。
ガテー ガテー パーラガテー
パーラサンガテー ボーディ スバーハー
(仏の世界へ渡らん。渡らん。悟りの岸へ全く渡らん。
無上のさとりにはいり、安らぎを成就させたまえ。)
あんなこと、こんなこと
「お釈迦様の教え」
どこか満たされない・・・欲しいものがまだまだ得られない・・・
そんな思いをしていませんか?
生きている間、ずっと「満たされない渇き(かわき)」苦を感じるのが、
人間なのだとお釈迦様は説かれました。
「渇き」は、自分の好きなものに執着し、
嫌いなものを憎むほど、強まります。
この世界では、どんな美しいものも、時とともに姿を変えます。
自分の身体さえ、日々若さを失います。
それに執着するほど、苦しみが生まれます。
何かをしなければと焦っては、不安に取り憑かれます。
さらなる苦しみに出会います。
「苦しみの消滅」 ~静かな強い心をもちます~
お遍路をしている間、静かに己の心を調え、物事をありのままにとらえます。
心が静まれば、自分と他人を区別して利益を求めることは無意味になり、
得失や、若いこと、老いること、汚れや、清らかであることに
こだわらなくなります。
この世の移り変わりの中で、焦ったり、不安になったりせず、
誰かを頼らず、
静かな自分の心を拠り所とします。
仏の智恵を頼ります。
お釈迦様は次のように言い残されています。
「おのが心をおきて、何処に拠るべぞ
「お釈迦様の教え」
どこか満たされない・・・欲しいものがまだまだ得られない・・・
そんな思いをしていませんか?
生きている間、ずっと「満たされない渇き(かわき)」苦を感じるのが、
人間なのだとお釈迦様は説かれました。
「渇き」は、自分の好きなものに執着し、
嫌いなものを憎むほど、強まります。
この世界では、どんな美しいものも、時とともに姿を変えます。
自分の身体さえ、日々若さを失います。
それに執着するほど、苦しみが生まれます。
何かをしなければと焦っては、不安に取り憑かれます。
さらなる苦しみに出会います。
「苦しみの消滅」 ~静かな強い心をもちます~
お遍路をしている間、静かに己の心を調え、物事をありのままにとらえます。
心が静まれば、自分と他人を区別して利益を求めることは無意味になり、
得失や、若いこと、老いること、汚れや、清らかであることに
こだわらなくなります。
この世の移り変わりの中で、焦ったり、不安になったりせず、
誰かを頼らず、
静かな自分の心を拠り所とします。
仏の智恵を頼ります。
お釈迦様は次のように言い残されています。
「おのが心をおきて、何処に拠るべぞ
よく整えられし己にこそ、得がたきよるべを得ん。」
あんなこと、こんなこと
あんなこと、こんなこと
「おひなさまと遊びましょう」
部屋の中には七段のおひなさまが飾られ、まさに「女の節句・ひな祭り」でした。
席を与えられ「懐紙」を用意すると、「それは女性用ですよ」と教わり大慌て。
知らない事ばかりながらも茶道の細やかさに感心しきり。
もろもろのお道具の方に興味津々です。
想像すると、とても気分が晴れ、
震災の恐ろしさを忘れることができました。
考えてみますと、昔から女性は日々の苦しさを耐えていくために、
このような楽しみを創りあげて人生に立ち向かっていったのでしょうかね。
それにしても野曽原先生はお茶の師匠らしく季節を楽しむ天才ですね。
「茶道の一期一会」ってこういう時間の共有化をいうのかもしれないなと感じました。
お知らせ
あんなこと、こんなこと
10月頃からボンバス内で背の高い若い女性を見かけられたと思います。優しい笑顔に加え、カタコトで話す日本語に興味を持たれた方も多いようです。
一度挨拶を交わしたら、二度目には自分から会釈される礼儀正しいところから
「ボンバス仲間」ができていたようです。
彼女はチェコから広島大学で心理学の勉強に来日され、イトーピアに住んでおられる友人のバイオリニストの吉本結さん宅にホームステイされていました。
26歳で英語・ドイツ語・スペイン語・日本語を話され、チェコでは愛馬を飼われ乗馬大好きのスポーツ・ウーマンのようです。時間があれば太田川放水路をランニングもされていました。
広島大学で学ぶかたわら、2年位前から興味を抱いていた日本の「茶道」を学ぼうと、イトーピアにお住まいで町内の方や学校で茶道を教えておられる野曽原先生に師事されました。勉強で忙しい彼女にはそんなに多くの時間を割くことはできません。考えた挙句にビデオを持ちこみ、野曽原先生の所作と自分の所作をビデオでとり、何回も見比べて稽古を重ねられたそうです。
最初に、なぜ、そのような所作をするのか理解できませんでしたが、何回も見ていると「美しい」と感じるようになり、これが伝統の美しさなのだろうと思われたそうです。
わずか7回のお稽古でしたが、野曽原先生は、「背筋をピンと伸ばした姿勢が素晴らしい。むつかしい「ふくさ」さばきも、「ふくさ」さばきの意味、お点前の一つ一つの意味を理解され、日本の総合文化の美、「茶の心」をすなをに感じとって下さいましたとほめておられました。
彼女に云わせると「厳島神社の献茶式にお連れいただき、日本一流のお茶式を見せていただき夢のようでした。また暖かい心配りで判り易く教えて下さった野曽原先生に感謝しています。」との事でした。
あんなこと、こんなこと
一、 安芸の宮島 廻れば七里
七里七浦 七えびす
二、 安芸の宮島 一度はおいで
宮はよい所 日本一
三、 来たか見たかよ 宮島景色
春は桜に 秋紅葉
四、 安芸の宮島 弥山の山で
鹿は寝もする 恋もする
五、 娘良いのは 管弦船よ
人が見たがる 乗りたがる
六、 宮島名所で 見せたいものは
長の廊下に 百八燈籠
七、 赤い鳥居に 千鳥がくぐる
願い一つに お礼が二つ
柱万才(棟上げ式など、景気が良くなるように唄った)
常若(とこわか)にお万才とは お家も栄え増しまする
愛嬌ありける新玉の 年取る初めの此方には
梨匠公が玉の冠り 頭に召し 綾んが太刀を佩き
葉紺えのゆずり葉 口にくわえ
五葉の松を手にもって
清涼殿の此方に立たせみたまえば
真に造りの結構さ
綾のへりが五百丈 錦のへりが五百丈 高麗べりが五百丈
合わせて千と五百丈の畳をば さらりやさっと 敷かせたまひければ
南にあたりて白金の 山を築かせたまひければ 鳳凰が舞い遊ぶ
宮殿鐘楼建て並べ 大般若が一千巻 四百巻は なは 難波の商人に
取られし残りが六百巻 あま港土に渡らせたまいければ
仏の数が三万三千三百三十三体ござるとか
むかし この地祭りなどは 阿部晴明 芦屋道満さしめたまう
大工は武田が万事にて 飛騨の工(たくみ)に 巧ませたまいければ
まず一本の柱をば 一仏薬師 泉の金銀使えどつきせぬ守り神
まず二本の柱をば 仁玉権現 錦の巻物 読めどもつきせぬ守り神
まず三本の柱をば 山玉権現 酒は泉の 飲めどもつきせぬ守り神
まず四本の柱をば 四に四天王 士農工商 子孫繁栄の守り神
まず五本の柱をば 牛頭(ごず)天皇は五穀成就 食らえどつきぬ守 り神
まず六本の柱をば 六地蔵おわします この地固めの守り神
まず七本の柱をば 七仏薬師七福神は 宝を授かる守り神
まず八本の柱をば 八瀬の観音 神にとりては
八百萬 神おわします 夫婦妹背の守り神
まず九本の柱をば 熊野権現 蔵に宝物 出船 入船 守り神
まず十本の柱をば 十羅刹(じゅうらせつ)は十分に治めて
人にとらせず国土安穏守り神
まず十一本の柱をば 十一面観世音は 子宝を授かる守り神
まず十二本の柱をば 十二神祇は 十二ヶ月の一年中 悪魔をはらう守り神
残りし三十六本の柱をば きりりやしゃんと建てくらべ
弥勒十年 辰の年
古人の建てし家なれば 雨は降れども 雨漏りせず
お日は照れども 干割れせず
風が吹き込みゃ 宝風
「坊主落とし」(恋物語です)
ここは中国 長門の国の ところ申せば 赤間が関よ
関で千軒 並みは無いが よろず小間物 京屋の娘
年は十六 その名はお杉 同じそのまち 円照寺様の
和尚 見るより はや恋となり すずり引き寄せ 墨すり流し
鹿の巻筆 小漉きの紙に 思う恋路を 細かに書きて
和尚手にとり拝見いたす 世には 豪気な女もござる
おれは浄土の 寒酸坊主 それはならぬと 文差し返し
時に お杉は こは情けなや 文をさらりと見るより早く
あら悲しやな 丸木橋から ふり帰された
どうせ この身が行かねばならぬ
ころは5月の中の頃
店の手代の衣装を借りて 下に召したる請島袷せ
上に召したる奈良肩平の 黒い羽織に 梅鉢絞り
長い脇差ししのびに差して 印籠巾着小脇にさげて
深い編み笠 男にかぶり 夜の四時には 我が家をいでて
高き処に 腰うちかけて 沖に大船 帆かけて走る
あれを見てさえ心が勇む 坊様ならとて 男じゃものに
わたしが行きたら おとさにゃ おかめ
さればこれより 円照寺にひそむ
夜の事なら 楼門閉まり そこでお杉は 利発なものよ
裏に回りて 墓道にしのぶ 灯り障子をさらりと開けて
和尚お寝間にひそかに歩み 和尚 和尚と二声 三声
和尚驚き はや目をさまし おれの寝間には 猫さえ来ぬに
キツネ、タヌキの化粧なものか 助けとらせよ南無阿弥陀仏
そこでお杉の申するさまは キツネ、タヌキの化粧でないが
文をよこした お杉でござる ぜひに今宵のお情け頼む
そこで和尚の申するさまは お杉よく聞け落とされりょうものか
おれはこの地の半佐がせがれ 七つ八つから出家をたてて
いろいろ奇業や経文ならい 三十三まで円照寺につとめ
坊主落とせば 奈落へ沈む
またもお杉の申するようは 坊主ならとて男じゃないか
そこが私の言い分ござる 物に段々 たとえもござる
沖に大船 帆かけて走る 港見かけて 一夜は泊まる
道に生えたる草木でさえも 露がおろさば 一夜はうける
花を見かけて 胡蝶がとまる 森林見かけて 小鳥がとまる
和尚見かけて お杉が泊まる お釈迦様さえ 八十三まで
それが叶はにゃ この脇差しで 自害いたすとお杉がいえば
これに驚き 理屈につまり なんの天保の変わり一夜は落ちて
飲めや 円照寺 歌えやお杉 酒の肴は たわら子なます
恋の刺身に はまカマボコで 仲の良いよに 仲傘まつり
一、 安芸の宮島 廻れば七里
七里七浦 七えびす
二、 安芸の宮島 一度はおいで
宮はよい所 日本一
三、 来たか見たかよ 宮島景色
春は桜に 秋紅葉
四、 安芸の宮島 弥山の山で
鹿は寝もする 恋もする
五、 娘良いのは 管弦船よ
人が見たがる 乗りたがる
六、 宮島名所で 見せたいものは
長の廊下に 百八燈籠
七、 赤い鳥居に 千鳥がくぐる
願い一つに お礼が二つ
あんなこと、こんなこと
こんなときに・・・・
「どんな人(女性)だろう。」彼の頭はそのことで一杯だった。
一張羅の服も、この日のために用意したものだった。
約束の場所には、時間も少し早めに着いた。
「幸福な家庭を築きたいなあ。」
そんな思いをめぐらしている時に、もくもくと 立ち上がる煙。
「あっ 火事だ。」
近くの運送会社から火の手が見える。
「どうしよう?今日は・・・・・・・・」
消防団員として励んできた意識は、彼を消防車の車庫へと急がせた。
近くの団員もかけつけてきた。ただちに現場へ。
ホースを引き出し、火元に放水。
煙につつまれ、放水の水にぬれながら、なんとか延焼をくいとめ、鎮火。
その日は彼の「お見合い」の日だった。
何事があろうと現場に駆けつける「消防団員魂」
己斐はそんな人たちに守られてきた。
昭和32年 彼は、その日の出動手当として100円のお手当をいただいた。
消防団 勇士と 消防車
こんな「川船」に乗りたいなあ
昭和12年。太田川にはこんな「川船」が運航していました。
船便の多かったのは、加計から広島・本川問屋街だったそうです。
加計は山陰と山陽を結ぶ重要な中継地でした。
加計からは、薪や炭などを広島に運び
広島からは塩や醤油などを運んでいました。
川船も帆が4枚の小型船と5枚の大型船があったようです。
左に見える山は武田山
右側には当時の桜の名所「長寿園」がありました。
今では、アルソックホール(郵便貯金ホール)のあたりです。
環境対策を重要視する今
もう一度、こんな船で「風とともに」遊覧したいものです。
(この写真はアメリカから帰られた谷口さんの親戚の方が写されたもの
写真技術的にも優れたものと評価されています。)
「楽しきかな わが人生」
一、旧友が 昔話を 打ち明けて
うつつぬかして
合うぞ 楽しき
二、幾千代も 逢うて親しき
信の友
此の世ばかりか
二世も三世も
三、上野山 峰につもりし
白雪も 谷に流れて
田の中に入る
諸氏に献歌 明顕堂 峰山
己斐に住む仲間が会食、興にのり、筆でサラサラと
歌を詠み、絵を描いて楽しむ様子です。
しゃれた人たちですね。
「さかな」を焼いているとこも おもしろい。
三番には、仲間の名前が掛けられています。
田中保氏は大和重工の創設者。
上野啓造氏は土井百穀の弟子で、
己斐小学校の校長を20年間務められた教育者です。
谷口さんは谷口造園社長のおじいさん。
また、こんな古文書を丁寧に保存されている谷口社長の几帳面さは
素晴らしい。
「ありがとう 緒方孝市選手」
最後までヘッド・スライディングで楽しませてくれてありがとう。
数々の名選手を産み出した広島カープは
この一枚の株券から始まった。(昭和25年)
暑いなかを、石本監督が「こうてくれえやあ~」といって来られた
懐かしい株券です。(4株券200円)
まじめな監督は、まじめなフアンをみつけ、
まじめな好選手を産みだした。
そんな中で、山本浩二選手、衣笠選手、水谷選手、江夏選手達が住んだ
イトーピア。大事にしましょう。
(谷口造園・所蔵)
「己斐はマツタケがよくとれた」
昔、己斐の消防団はとても元気で勢いがあった。
体力・能力・気力というけれど
本当は己斐消防団管理の山から
マツタケがたくさんとれてよく売れたので財政的に裕福だったから
写真は昭和12年頃
茶臼山でマツタケ・パーテーをしている写真です
遠くにみえるのは、観音・江波の海です
「ちょんまげ」と「おはぐろ」
「ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」
と言われた明治の初め、己斐村では
まだまだ「ちょんまげ」と「おはぐろ」が多かったようだ。
こんな写真を写す事自体が珍しい時代の それもきれいな写真、
谷口造園の社長さんの「おじいさん」だそうです。
手前のウイスキーのビンのようなものは・・・?
「 腹はへっても まつりはできる 」
昭和27年~28年の己斐。
戦後の食糧不足の中、どこから元気が湧くのだろう
焼け野原の広島市内にもくじけずに
「たのしく」という思いだけで けなげにガンバル子どもたち
13才~15才です。
今年もがんばろう!!!!