徒然なるままに

 

 
    コール己斐イトーピア20周年記念コンサート
 
                                       4組 小倉
 
 3.11、東日本大地震、千年に一度の大津波、収拾のつかない原発事故。
 
 何かが胸につまっていて、明るい話題に飢えていたが、7.10(日)14時、全てを忘れた!
 ボンバス2台による送迎、鬱陶しい梅雨も明け、眩しい日差しの中、西区民文化センター・スタジオで、それは始まった。
 
 総勢18名?コーラスとしては決して多くはない人数、幅広い年齢層だが、皆さん美しく輝いていた。選曲も、童謡から合唱曲と会場を魅了した。
 内容も、先生方の小ドラマや、広響の方々を交えたアンサンブルと盛り沢山。聞く者を飽きさせない演出で、驚いた。司会の方も、美しく素敵な声で、今度ラジオを聞いてみようと思ってしまった。
 町内会の方々も、裏方として大活躍。成功させる会は大成功!
 
 歌は素晴らしい。元気になるし、明るくなる。歌いたい!というハイな気分で帰路についた。
 
 明日も、頑張ろう!皆さん、ありがとうございました。
 

                                                     

           

                       餅つき大会

                           4組 小倉

 2月14日と言えばもちろんバレンタインデー!あちこちでチョコが飛び交った事だろう。

 

 ところが、この町内では、餅つき大会が行われた。どうしてと不思議に思うだろうが、旧暦ではお正月なのだ。おめでとう!と、勝手に解釈した。

 

 このところの天候不順、天気予報を見ながら一喜一憂したが、強力な晴れ男(会長)のおかげで、薄日も射し絶好の餅つき日和?となった。総勢約30人。老いも若きも入り混じり、にぎやかに始まった。

 

 薪式のせいろではいい具合にもち米がむされ、さるかに合戦に出てくるような本格的な石臼の中にはお湯が入っている。温めておくと餅がつきにくくなるそうだ。

 

 男性陣から餅つき開始。ペッタン、ペッタンといい音がする。思いのほか出来上がるのが早い。つきたての餅を持って集会所の机の所へと谷口造園の奥さんが走る。周りには女性陣が待ち受け、大小様々ではあるが、あっという間に丸餅が出来上がる。良い餅はすぐわかる。本当に赤ちゃんのような餅肌なのだ。気持ちいい!

 

 つく人たちは大変だったろうが、400個ぐらい丸餅が出来、最後の餅はきな粉餅にしてみんなで味わった。つきたては美味しい!きな粉のお味も抜群だった。

 

おみやげももらい、ほどよい疲れとともに、無事餅つき大会は終了した。

皆さま、お疲れ様でした。三水会の執行部の皆さまありがとうございました。

 

 

  

               寅年

                               4組 小倉

 2010123日、新年おめでとう!の声も、もう聞こえなくなってしまった。

ましてや、有志で楽しんだ忘年会、年末の素敵なお正月飾りづくりもはるか彼方に消えてしまった。時は待ってくれない。前へ前へと進んでいく。

 若い頃は早く早くと思っていたが、最近はもう少し待ってとブレーキをかける。しかし、スピードはどんどん加速する。

 友達とは、素敵に年を取っていこう!とエールの交換をするのだが、少々自信がない。

日々の生活に追われ、無駄遣いしている時が多くなっている。情けない。

 今年は寅年。孤独と気高さ、澄んだ瞳の中に優しさを漂わすアムール虎。しっかりと地に足をつけ、前を見据えて過酷な環境の中で生きている。少しは見習わなくては!

 日本も、今年に入り益々不安定になっていく。世界の中で生き残っていけるのか?

 私たちの生活も、今までのように過ぎるのかわからないが、一つだけ気をつけて過ごしたい。難しいかもしれないが。

  “やさしさを忘れないこと”

 

            

 

 

門司港バス旅行          

                                                    4組 小倉

暑かった日々もいつの間にか過ぎ、気づくと街路樹も色づき始めている。

ここ数日ぐっと気温が下がり雨模様の荒れた天気となり、気が気ではなかった。

なぜか?3日の文化の日は町内会の門司港観光バス旅行の日だったからだ。

 

しかし、案ずることはなかった。少し風は強かったが、天気は良好。絶好の旅行日和だ。ボンバスの観光バスで定刻出発!総勢27名、初参加の方もいらして会話も弾む。残念ながら私の横は空席だったのだが・・・

 

バスは順調に走り、昼前には到着。14時45分まで、自由行動だ。

私たち4人はすぐさま昼ごはんを求め、異国情緒あふれる素敵な街へと繰り出した。

 

 知らなかったが「焼きカレー」が有名なのだ。はじめ三井物産の迎賓館だった旧門司三井倶楽部のレストランへと向かったが、席も少なくアウト。

おかげで、初めから気になっていた門司港地ビール工房へと皆を引き連れ逆戻り。

これが大正解!レトロなお店と美味しい地ビール、とろとろチーズのアツアツ焼きカレーが抜群のうまさ満点!プラス窯焼きピザも最高においしく、大満足!

 

おまけに、この間、関門海峡で衝突事故を起こした護衛艦くらまと韓国コンテナ船も止まっており、野次馬根性丸出しでついでに見学してしまった。

 

しかし、門司港は観光に徹している。門司海峡を望む雄大な景色と歴史的建造物、しゃれた街並み、グルメ探訪と、カップルから家族連れ、もちろん一人でも十分楽しめるところだった。

 

しゃれたテラスのあるイタリアンレストランでコーヒーを飲みながら、その場に合わない堅い話をし、お店の素敵な二階席とトイレを拝見し感激しながら帰路についた。もちろん地ビールのお土産も忘れずに!

 

帰りのバスも順調に走り、残念ながら門司ではなく途中のサービスエリアで記念撮影をし、無事己斐東イトーピア団地へと帰りつき、皆さん笑顔でお別れをした。

次回はどこへ行くのかな?と楽しい期待を抱きつつ、私も我が家へと向かった。

 

 

芸術の秋

                            4組 小倉

寝苦しかった夜も、心地よい風に吹かれ、眠りに就くことが出来る様になったころ、回覧板が回ってきた。文化部からの陶芸教室へのお誘いだった。待ってましたと参加することにした。

同じ己斐にありながら、ここだけは別世界のように静寂と落ち着きに包まれている。階段を上っていき、「こんにちは」と声をかけると、なつかしい先生お二人(お一人は可愛いお嬢さんを子育て中の娘さん)と、なつかしいお顔が出迎えてくれた。私も二回目だが、同じく陶芸の魅力に取りつかれた方々もいらっしゃるからだ。

作品を何にするか前回は悩んだものだが、今回は茶碗にする、小鉢にするとすぐきまった。もちろん私も、「大皿」にすると決めていた。が、あ~ぁ!とすぐに後悔した。轆轤も使わないし、小手先の技術もいらない。パン生地をのばすように、めん棒のような棒で大きく伸ばすだけ。つまらないと周りを見回すと、みなさん凄い!初めてとは思えない手つきで素敵な作品を作り上げている。もちろん二回目の方は前回以上の腕前である。お子様連れの方も参加していらしたが、この子がまた素晴らしい。感性豊かな作品を作っている。

一ヶ月後に作品鑑賞会が開かれる。この時がまた楽しいのだ。釉薬がかかり、今日とは全く別物のように変身した作品に出合えるからだ。今から胸がワクワクする。

心地よい疲労感を感じながら、やさしい先生方に見送られ、また現実の世界へと帰って行った。

文化部の方々、町内会の方々、楽しいひと時を過ごせたことを感謝します。

また次回も素敵な企画楽しみにしています。

 

 

墓守

4組 小倉一恵


 

 突然の豪雨に目が覚め、つい窓の外を覗いてしまいかすかな不安を感じる夜。 そうかと思えば、帰り道、降り出したと思ったら一気にスコール状態。 長すぎる梅雨にうんざりしていたが、やっとの晴れ間。 常々気になっていた墓掃除に出かけることにした。

                                          

 

 大量の雨のおかげで、きっと草達も大きく育っていることだろうと覚悟を決め、重装備に身を包み大きな袋を持ち主人と出かけた。 我が家は団地内に墓地があるので、どんな格好をして出かけても大丈夫。 これだけはありがたい。

 

 高低差のある不揃いな階段をハアハアと上っていけば案の定、草ボウボウ。 私はこっち、あなたはあっちと二手に分かれて黙々と草を抜く。 毎回のことだが、何でこんなに生えるのだろうか?

 

今までも色々試してみたが、生えるものは生える。 小一時間位経った頃だろうか、「もういいことにしようよ、疲れた」と汗まみれの顔で主人が言った。 見回してみれば、大まかには綺麗になったが、通路にはまだ草が生えている。

 

並びの墓地は砂利がひいてあるが、草が間から伸びている。ここは数年前までは墓があった。

 

鮮明にある光景が目に浮かぶ。

 

あの時も今日のように暑い日だった。

 

いつものように草取りに精を出していると、老夫婦がやってきた。 同じく墓の掃除にやってきたのだ。 この時は、枯葉も多く石垣の間からも頑固な草が垂れ下がっていた。 我々は植木用の剪定ばさみも用意しており、引っ張りながら切っていた。 隣の老夫婦はこれほどとは思っていなかったのだろう、手で引っ張ったりしながら悪戦苦闘していた。見かねて主人が大きなものは全部切ってあげたりし、お話しするきっかけとなった。

 

お二人にとってここまで上がってくるのはもう限界だが、かといって頼める人もいないという。これが最後かもしれないと寂しそうにおっしゃった。 本当にそれが最後となった。次の時にはお墓は無くなっていたからだ。どこか平地にでも移ったのだろう。

 

墓守は大変な仕事だ。高齢化が、墓を守る行為一つにも影響が出ていると感じたものだ。今こうして元気にしてはいるが、自分たちもこの先どうなるのだろうか? 子供たちは草取りに来てくれるのだろうか? 重い紙袋を抱えて帰りながらいつもの景色を見渡した。

 

まあ、いいか!なるようにまかせよう。ご先祖様もわかってくれるだろう。