庚午雑感 庚午の成り立ち1
2011年1月21日 09時48分 [nakayonkai] 庚午の町は1870年に広島藩が前年の凶作による困窮者の救済を目的に干潟干拓をし、翌年の完成で「庚午新開」と命名され、全域が佐伯郡に翌年(1878年)に編入された。地名は工事が着手された年(1870年)の干支に由来する。かのえ(庚)は10干の7番目であり、「かのえ」(金の兄)ともいう。
うま(午)の年ということ60年毎に一回繰り返す。庚の意味は庚の字は同音の「更」につながり、植物の生長が止まって新たな形に変化しょうとする状態である。はじめは佐伯郡草津村の大字庚午新開であったが広島市に編入合併後はそのまま広島市草津町大字庚午新開になった。