庚午雑感3
2011年1月24日 09時22分 [nakayonkai] 広島の町は太田川のデルタ地帯に造成された町で紙屋町などの中心街もその昔は海だった。その名残として白神社には海の岩礁が残っていますね。己斐、古江、草津の沖も例外でなく早くからそれぞれの地先の砂州を元に小規模の新開を開発したようです。
草津では町人の資力が強く文化、文政ごろ(19世紀初頭)には新開の開発が盛んであったようである。明治3年~明治5年(1870年~1872年)にかけて「庚午新開」として開発された造成地が出来た。それが庚午の町である。