庚午新開5
2011年1月26日 08時58分 [nakayonkai] 新開を作るにはまず堤防の築堤が必要ですね。庚午新開の築堤計画は、明治元年(1868年)「天赦新開」と名付けられて、佐伯郡の代官三戸源左衛門が群方の事業として立案したものである。これに佐伯郡の割庄屋小泉甚右右衛門、同八田新一、同和田吉右衛門らが計画にあずかり、「1反に正金30両の割合」で奉加帳に加入させ、新開完成のち土地の配分を行うという名目で資本金を求めたところ、多くの加入者を得た。翌2年4月、「割庄屋」一同の名で藩庁に出願、許可を得て着手しよとしたところ、対岸の観音新開の地主や己斐山手川上流の各村の庄屋から「水利に妨げがある」と横槍が入り、やむなく中止することになった。