庚午雑感7
2011年1月28日 09時39分 [nakayonkai]事業の着手
広島藩では検索者の竹田頼太郎を新開築造主任(小判事)任命し、当初の天赦開田より10町歩縮小し、216町とし、川上の各村に70石の補償米を与えて反対運動を封じ、新開方の貯金を一部流用して完成後に新田の売却代金で返却する予定とした(小泉文書)。
明治3年1月28日佐伯郡の代官佐藤、片山や当時庚午地区は沼田郡に所属していたので沼田の代官横地新開方竹田、堀野、他佐伯郡の割庄屋、己斐村庄屋、沼田郡の割庄屋新開や郡方の諸役員が集まって実地検分をした。(開地方雑記)
明治3年1月28日佐伯郡の代官佐藤、片山や当時庚午地区は沼田郡に所属していたので沼田の代官横地新開方竹田、堀野、他佐伯郡の割庄屋、己斐村庄屋、沼田郡の割庄屋新開や郡方の諸役員が集まって実地検分をした。(開地方雑記)
翌29日には竹田他開田御用係以下の下役が関係の庄屋、与頭などから任命され2月3日には関係者一同が草津本固新開(草津役場があった所今の草津保育園)起工打ち合わせ会を行った。
参加者責任者の竹田他大年寄り芥川割庄屋小田など22名と工事に従事する測量士、石工など17名もう加わり、酒肴がでて、起工式が行われた。