庚午雑感9
2011年2月3日 09時45分 [nakayonkai] 築堤工事は難民救済事業という建前であり、飢渇した流民を使役したため、工事は予定通り進まなかった。工事が半分も済まないのに2万両も予算を超過することになった。工事の責任者である竹田頼太郎は責任を取って切腹したという噂が立ったが、事実は竹田は4月28日病床につき、5月7日に死亡した。
小泉家所蔵の「明治3年牛2月7日起工、庚午新開築造の一件」の箱書きのある文書によると「新開方役所より竹田が引き受けてのち吉村が引き受けて築造中、本郡の割庄屋ならびに草津御用掛を仰せつかり、切腹後の勘定方をお役所より小泉甚右衛門にご依頼相成り候」という記事があるのは、この間の消息を物語る証左ともいえる。