庚午雑記11
2011年2月7日 09時10分 [nakayonkai] 何故新開方の役人に代わって、小泉甚右衛門を主とする草津役人が事業にあたることになったかは開地の御用掛であった尾藤貞右衛門の手記である「開地方雑記」が明治3年6月16日までしか記載されていないので不明である。察するに新しく財源を小泉甚右衛門らに求めて工事を進めたためであったと思われる。
小泉甚右右衛門の手記によると銀の出し入れの責任者になったため、自己の手元銀を持って用立て、工事終了後に銀を下付された。その間は無利子で世話をしたので工事竣工したのちの明治4年12月に甚右衛門に米30俵、その他下役人に応分の賞与があった。
小泉甚右右衛門の手記によると銀の出し入れの責任者になったため、自己の手元銀を持って用立て、工事終了後に銀を下付された。その間は無利子で世話をしたので工事竣工したのちの明治4年12月に甚右衛門に米30俵、その他下役人に応分の賞与があった。
完成は明治4年5月だったようである。(農事資料展覧会報告書)