庚午雑感14
2011年2月10日 09時26分 [nakayonkai] 庚午新開の大半を所有することになった小泉家ははじめ痩せ地の一六の割から下の20町歩を引き受けたときに村役人や村内の金持ちを集めて希望する土地を買って貰い、残りを小作に出すこととした。
この土地は塩分が多くて耕作に適さなかったので明治5年~明治8年までは無料で小作に出し、翌9年から1反に対し小作米約1斗と定め、以後は成熟程度に応じ、小作料を増加した。
しかし塩分を含んだ新田の作物は実らない、一番作りやすいサツマイモでさえろくに生育しないのでサトウキビを作ったが、夜分になると蟹が作物の根をハサミで切るので、見張り小屋で農民が交代で蟹の追っ払いに徹夜する有様だという。