庚午雑感15
2011年2月11日 09時52分 [nakayonkai] その後明治22年頃には県の移民奨励策の影響で、小作人の内からハワイやアメリカ本土に移民するものが多くなり、庚午新開には荒れ地が増加した。そこで小泉家では甘藷を栽培して砂糖製造工場を起こしたが収支採算が合わず、27年に廃止した。
のち県下各地から小作人を募集した結果40年には1坪の荒れ地もなくなったのみならず小作権の売買も行われるようになった。
また、小泉家が明治25年以来行った小作金納めの方法は小作人に貯金を奨励し、小泉家が預かりそれに銀行利子よりも高利を付けて小作料納入後に決済するもので、模範的な制度として全国的に注目を集めたという。