庚午雑感17
2011年2月13日 10時27分 [nakayonkai] この神社は、工事が進むにつれて第二の難所であった「十の割」に移され、ここの築堤工事が終わると第三の難所であった「15割」へと移転し、御動座を願った。この様にして波のために破壊されそうになる堤防を守護し続けた。
この神社は工事期間中は「地神社」と呼ばれていたがそれ以後は「豊ノ神社」と名を改めて祀ることになった。工事安全のための神社から庚午の地に豊穣になることを祈願する神社になった。
昭和46年の改築に合わせ神社名を豊野から庚午に代えた。庚午神社の氏子は当時六千世帯であったが昭和17年の台風により堤防が決壊したときの八十五世帯を考えると隔世の感がある。