庚午雑感18(鉄道山陽線の敷設)
2011年2月14日 09時24分 [nakayonkai] いよいよ庚午新開も完成し、約百世帯が入植したようですね。昭和の初めまでは交通網は江戸時代の西国街道しかありませんでした。
当時は佐伯郡に属していたため佐伯郡誌によるとその様子は東端己斐町より西端大竹町にいたる間は、概ね海に沿い幅員3間(五,四㍍)の国道通ず。その延長8里24丁、沿道には己斐・古田・草津・井口・五日市・廿日市・宮内・地御前・大野・玖波・大竹の諸町村あり、道路平坦紙の如く、維新前大名参勤の道路にして、今又車馬の交通絶えず、されど鉄道山陽線の敷設を見るに及びて次第に廃れつつあるは遺憾とす記述されている(山陽線が広島以西西徳山開通したのは明治30年(1897)9月。