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崇道天皇
 第50代桓武天皇の皇太子であった早良(サワラ)親王(桓武天皇の実弟)が、重大事件に関係したとされて皇太子の地位を追われた。淡路島に配流される途中で絶食して抗議したが中途で死去したと歴史は伝えている。
 その後に桓武天皇の周囲で忌まわしい出来事が続発し、早良親王の祟りということになった。早良親王に崇道天皇の贈り名をして霊を慰めた。即位したことはないから、天皇の系図にはない。奈良や京都には、今も立派な崇道神社が幾つも祀られている。今のところ淡路島には、崇道天皇に関わる何も伝えられていない。
 可部町史が、崇道天皇の社祠について記述している。大林の伊勢ケ坪の場所は「御所どころ」と通称されていて、崇道天皇の行在所(天皇の住居)があったのだと言い伝えられている。

   左奥「神殿」(本殿)

墓石の山が「崇道天皇の社祠」

  左の「社祠」の部分を拡大撮影
  つまり崇道天皇は、死去せずに当地まで逃れていたことになる。  (可部町史・伊勢ケ坪が御所どころ) 最近になって崇道天皇の墓石であろうと、三入神社の本殿の傍らに表札が建てられて手がかりが示された。
 全く別のことで、王子山には後醍醐天皇の第1皇子の護良(モリナガ)親王が一時的に住居を構えたとの説もある。故に王子山と名づけられている。
 
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