土居屋敷跡
 高松山の北西の麓に、城主の住居が土居屋敷跡として往時を偲ばせています。政務の場所でもありました。戦国武将の城跡は全国に数多くありますが、城主の住居跡が明らかなのは甚だ少ないのです。
  国史跡の吉川氏の屋敷跡や県史跡で当地の熊谷氏のものなどは、例外的に貴重なのです。毛利氏・武田氏ほか多くの有力武将に屋敷がなかった訳はありませんから、ほとんどが消えてしまったことになります。
   城主ではなくても、地域の中心人物の屋敷や地域が「土居」と呼ばれている実例は各地にあります。当地でも、住居跡の周辺が「土居」という小字名(コアザナメイ)として最近まで続いていました。
  周辺の小地域だけでなく、広くは高松山の全体も下町屋の土居という地名でありました。また姓名の姓を 「土居」としている実例も、当地ほかにあります。
  当地の土居屋敷跡は甚だ珍しい遺跡ですから 高松山登山から降りてすぐに土居屋敷跡を見学する場合も多くあります。さ らに土居屋敷跡の西正面にある菩提所観音寺に足を延ばすことも一般になっています。
  双方を近距離で見学できる当地の遺跡は、全国でも珍しいのです。さらに数百メートルを北に進むと広島市指定の文化財である 「梵鐘」で有名な、熊谷氏の守護神としての 「 三入神社 」 も必見です。
        後方に高く高松山
    白い石柱は県史跡の表示です。
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