高松山と城跡
 標高339メートルの高松山の山頂付近に、熊谷氏の城跡があります。「本丸」「二の丸」「馬場」「与助の丸」「明堂寺」など規模の大きな城郭の跡が明らかです。そのほか東・西・南の尾根には、階段状の郭が判ります。
  熊谷氏が三入ノ庄の地頭として大林の「伊勢ケ坪」に鎌倉時代初期(1221年)に最初の城を築き、年月を経て勢力を拡大して戦国時代の初期に高松城を構えたのですが年代の記録は見つかっていません。
   守護であった武田氏から離れて毛利氏の配下となり、格別の重臣となっていきました。領域も三入ノ庄をはるかに超え、戦国時代の半ばには南原川の下流の「横川合戦」(1533年8月)で旧主の武田氏に勝利し、毛利氏とともに広島城下に移り、さらに長門の萩へと毛利氏と行動を共にしました
 高松山は眺望が実によくて、三入ノ庄のほぼ全域が眺められるとともに可部 ・ 亀山も眼下にあります。さらに広島市の中心部や広島湾の一部も臨まれます。5月下旬の、高松山の大文字火祭り (灯りまつり) の灯が平和公園の相生橋から鮮やかに眺められます。
写真説明
三入公民館東側から高松山(中央)を
左手前白壁の向こうは「三入神社」の
鎮守の森。右端は、太田川対岸の「阿武山」
 登山路は今も4方向は確認されています。 正面は可部市街地の側から険しく登り、土居屋敷からの登山路は最短路なので特に険しく、高松山の東裏側から頂上を目指す通路は甚だ緩やかで短距離・短時間です。桐原側からの尾根筋は、眺望を楽しみながら登ることができます。 なお可部からの正面と土居屋敷からの登山路の樹木には名前がつけてあり別の冊子ではそれぞれの樹木の説明もしてあります。
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