お知らせ


昭和4年(1929年)広島市との合併を経て、昭和8年(1933年)に初めて三滝町と呼ばれるようになりました。
 昭和42年(1967年)太田川放水路が完成し大きく地域を分断され、放水路の東側を三滝町、西側をこちらが本家とばかり三滝本町としました。三滝山に向かって左が1丁目、右が2丁目に、しかし名前の由来である三つの滝と三瀧寺の所在地が三滝本町3丁目となるので、総本家らしく三滝山町として独立させ、昭和45年(1970年)から三滝町、三滝本町及び三滝山町の三町となりました。

三滝の名前の由来は三滝山の滝の数から命名されました。
その滝はかって雌瀧・雄瀧・駒が瀧という名がついていましたが、現在では幽明(れいめい)の滝・梵音(ぼんおん)の滝・駒が滝と呼ばれています。中でももっと大きい梵音の滝は約50メートルの絶壁から落ちてくる滝の様は誠に見事です。
 
 まちの重点目標は
明るく安全・清潔ですみよい町づくりを目指して、挨拶運動を推進し、町民相互の融和と信頼の向上を図る。

伝統行事等地域活動の活性化
災害時擁護者支援事業の推進
防犯パトロール事業の推進
 
 
三滝駅から順に

高野長英を一時庭園内の神農堂にかくまったという日渉園
ニューヨーク本願寺仏教会前でノーモアヒロシマを訴え続ける親鸞聖人跡地の聖ヶ丘。
横川より三瀧寺までの参道の道標である六丁・八丁・十丁の標石。
三十三漢音摩崖仏の一番観音。
虫歯を治すという松の木とお地蔵さん。
落語の祖といわれる策伝上人が開祖の誓願寺。
地獄極楽の木で有名な海雲寺。
赤穂義士大石内蔵助ゆかりの常林寺。
三原浅野家のお墓。
春は見事な桜並木の三滝参道。
その左側には原爆で亡くなれた方々の三滝無縁仏供養塔。
中国三十三観音の第十三番札所の三瀧寺。
広島県重要文化財の三瀧寺多宝塔。
秋にはもみじの名所の三瀧寺、境内にはには数えきれないほどの石碑や句碑があります。
わが町三滝本町には毎日国内外の多くの人々が訪れています。 

三滝本町

三滝町の歴史 
 
西暦  和暦  
 809  三瀧寺を空海が開く。
 1619 上田重安宗箇(浅野藩主浅野長晨藩の家老として来広)
 1622 赤松を新庄山に植える 植松山・宗箇山となる  
 1871 明治4年 安芸国から広島県 
 1889 明治22年 新庄村、楠木村、打越村が合併し三篠村となる 
 1898 明治31年 沼田郡から安佐群となる 
 1907 明治40年 三篠村から三篠町となる 
 1929 昭和4年 三篠町が広島市と合併する 
 1933 昭和8年 三滝町へ名称変更 
 1924 広島市合併。大字新庄となる。 
 1933 大字新庄から三滝町と町名変わる。 
 1962 放水路拡大のため、線路を西側に移設し現在の三滝駅できる。 
 1965 放水路東を三滝町、西を三滝本町とあらため、三滝本町ができる。 
 1969 三滝本町が1丁目、2丁目、山町と分かれ、現在の形となる 
昭和16年夏のラジオ体操の写真
写真の親鸞聖人像は昭和20年8月6日原爆により被爆し現在ニューヨークに設置されています。