お知らせ

湯の山温泉懐古写真

湯の山温泉旧湯治場は古くから鉱泉の湧出があり「湯の山明神霊験の湯」

として信仰されてきたそうです。

1707年湯が湧出して、寛永元年(1748)神社殿を建立して、

入湯者が増し、当時宿が三七軒建つほどに繁盛したそうです。

その後、広島浅野藩が湯所役人を任命して、明神社の再建と

湯治場(現存の湯治場)を建造しました。

宝暦元年(1750)には藩主吉長公が社参、入湯し、

以後浅野藩の湯治場として栄え、一般庶民にも開放したそうです。

昭和30年代までは、滞在型の湯宿も多く存続していましたし、

もっと古くは温泉の再噴出があり、麓の村落まで湯治客が詰めかけたと

記録にあります。

以後を記録してみますと・・・

○ 1797年藩絵師岡岷山が入湯し、「都志見往来日記」

   に当時の繁栄ぶりを絵と日記で記録する。

○ 昭和33年(1958)「湯の山旧湯治場」が県の史跡に指定

  昭和47年(1972)湯来温泉と共に「湯来・湯の山温泉」として
  国民保養温泉地に指定。

○ 昭和49年(1974)「湯の山明神旧湯治場」が国の
  重要有形民俗文化財に指定されるとともに湯来町営の「湯の山温泉館」が
  オープン・・打たせ湯が有名

○ 平成3年(1991)「湯来湯の山温泉」国民保健温泉地に指定。

○ 平成6年(1994)湯来町営(現広島市)の「クアハウス湯の山」がオープン

余談・・・浅野の殿様は、どうも太田川、水内川の船を利用されて
 当地に来られたような気がします。

※ 現在、湯来温泉街道・湯の山温泉街道と仮称して、
  地域活性にグループを立ち上げて鋭意努力中です(*^^*)

 前置きが長くなりましたが、今回の旧い写真は、湯来町郷土研究家(文化の会)

  野路正人氏より拝借しご意見もお聞きしたものです。

湯の山温泉に一度でも行かれた方は・・・は現在と比較していただきたく

  且つ当時のにぎわいを感じていただければ幸いです。

  旧写真は昭和の初期から中期ぐらいと思われます。

 
  ここにはすべて写真が入りませんので、