湯来町の歴史

 湯来町*
昭和31年(1956年)9月30日、砂谷村・上水内村・水内村の3村が合併して発足しました。町の名称は、町内外に広く親しまれている「湯来温泉」の名をとったものです。
 
 旧砂谷村は、明治22年(1889年)白砂村・葛原村・伏谷村が合併したもので、農業が主産業ですが、特に酪農が盛んな地域として知られています。
また、昭和56年(1981年)分譲開始の「杉並台」をはじめとする住宅団地や工業団地が造成され、広島市のベッドタウンとして発展しています。
      ・・阿弥陀山中腹からの砂谷牧場、杉並台方面の遠望です・・
                 ・・広島市南部も見えます・・
 旧上水内村は、明治22年(1889年)、多田村・菅沢村が合併したもので、林業を主産業としてきた地域です。同地区にある「湯来温泉」は、昭和30年(1955年)に「国民保養温泉地」の指定を受けるとともに、昭和41年(1966年)には国民宿舎「湯来ロッジ」が開設され、広島県を代表する温泉地として広く親しまれています。
        ・・この写真は本多田「みどり開館」に掲載されておる写真です・・
 旧水内村は、明治22年(1889年)和田村・麦谷村・下村が合併したもので、旧広島藩主淺野氏の湯治場でもあった「湯の山温泉」は、湯来温泉とともに「国民保養温泉地」に指定され、平成6年(1994年)には「クワハウス湯の山」が開設しています。
        ・・湯ノ山温泉浅野候湯治場跡です。湯ノ山温泉すぐ上です・・
今、わがまち湯来町では、広島市と合併後も多彩な資源を生かし、「自然と観光とベッドタウンの調和した田園都市」を目指して、健康で、豊かな、活力とゆとりのある町づくりを推進しています。