わがまちについて

わが街千田町1丁目


                                   ふりかえりの塔 碑文.pdf
私たちの千田町一丁目は、市内電車が町の真中を走り、北は鷹野橋・南は日赤病院前(その昔は広島大学前)と、2つも電停がある広島市内ではまれな町です。

また、都心に近く、学校・銀行・病院・商店街・ショッピングセンター等が界隈にあり、便利で住みやすい町です。
私たちの街には、大正から平成7年まで広島大学正門が位置し、大学の門前町として歩んできました。

「ありし日の東千田キャンパス」 広島大学提供
電車通りに面して多くの店が立ち並び、学生街特有の季節行事などで賑わい、電停は学生であふれかえり、千田商店街加盟店だけでも90
店にのぼりました。昭和50
年代に入り広島会計学院とその系列専門学校が設置されると、その賑わいは一層増しました。
平成に入り広島大学が移転すると、人も街も大きく変化し、電停も「広島大学前」から「日赤病院前」に変りました。


広島赤十字・原爆病院は改築をすすめ、
昭和43年から町内の活動拠点でもあった市社会福祉センターの平成28
年末の移転にともない、その跡地一帯を表玄関とし、「地域の中核病院として質の高い医療を提供し、人々に愛され信頼される病院」を目指しています。

近年市民の都心回帰が言われて久しいですが、便利で住みやすい私たちの街にも、新たに住まわれる方が増えつつあります。

時代とともに地域活動を担ってきた住民や商店主が少なくなるなかで、縁あって暮らすこの街を“ずっと住み続けたいまち”、“住んでよかったと思えるまち”にと、新たな人たちも地域を支える一端を担ってきています。


わが街からの千田町100年



大正5
年7月千田町という町名が
国泰寺村の南半分に名づけられ、平成287月に100年の時を経ました。

千田という名は地名辞典によると「明治18年宇品築港に伴い、広島市街と宇品を結ぶ新道が開設。当時の県令千田貞暁の名によってこの道を俗に千田通りと呼び、町名はこれに由来」とあります。
 大正四年地図.pdf (大正四年調査廣島市街新地図)復刻 あき書房

千田町は、明治35
年に広島高等師範学校、大正には高等工業、修道中学校、昭和4年に広島大学の前身である広島文理大学が開校されるなど多くの学校が集い、界隈に下宿、本屋、飲食店などが立ち並び、学生の町を支え栄えてきました。

また、広島を代表する交通手段である市内電車は大正元年に通じ、千田町に活気を与え、昭和12年には明治25年に開設された測候所跡地に広島貯金局が完成し、多くの人々を救うことになる広島赤十字病院は昭和14年に設置されました。
                                                                  
                                                
昭和四年地図.pdf
                   (昭和四年当時の営業別住所入明細図)復刻 あき書房 

昭和20年の原爆投下により、爆心地から約1.4㎞に位置する千田町一帯は全焼。
      
       原爆復元地図.pdf            
       
被爆後の千田町 (日本空襲デジタルアーカイブより)

 
            広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク(爆風でゆがんだ鉄製の窓枠)                           翌21年からの都市計画によって道路及び区画が整備され、現在の街並みの基礎となっています。

昭和24
年に旧制諸学校を基盤に「新制広島大学」が発足し、千田町一帯は再び教育の町『学都広島』として一層の賑わいをみせていきました


「ありし日の東千田キャンパス」 広島大学提供
常に学校及び学生と共に歩んできた千田町ですが、昭和48
年に広大の東広島移転が決定。平成3年の工学部を皮切りに平成7
年に移転完了し、夜間キャンパスなど一部の学部は残されましたが、人も街も大きく変化して転機を迎えました。

広大跡地の活用について論議が繰り返され、平成17年一部民間マンション建設決定。平成18年広島地域大学長有志懇談会が「ひろしま『知の拠点』再生プロジェクト」を広島市長へ提案。  曲折を経て、平成25年このプロジェクト事業予定者が選定され、広島ナレッジシェアパークとして建設がすすんでいます。平成28年春、広島大学は「東千田未来創生センター」を開設し、21年ぶりの都心回帰となりました


広島ナレッジシェアパークは『知を育み、定着させ、持続させるまちづくり』をコンセプトとして選定されました。平成28年地元千田町は、この基本コンセプトを忠実に推し進める未来志向の利活用を願い、広大旧理学部1号館の保存・活用の提案を“『若者文教の街・芸術の街』の再開発”として広島市に提案しました。
旧理学部1号館の保存・活用.pdf

平成29年広大旧理学部1号館の保存・活用を協議する市有識者懇談会は次のような方向性を示した。
市有識者懇談会.pdf


参考資料 ・角川日本地名辞典 ・千田通り商店街ホームページ