東観音台団地について

団地誕生記録 YouTube ⇒https://www.youtube.com/watch?v=LDyiC6W8VXE&t=5s

団地の誕生(東観音台の歴史)
 昭和49(1974)年(1974) 広島市佐伯区倉重町の山林を開発し県立五日市高校が建設された。
 その後、昭和591984)年 五日市高校を取り巻く山林所有者による区画整理事業で宅地造成工事が行われ、
平成元(1989)年に東観音台団地が完成した。
(工事面積:466,468㎡、計画区画数:1,299区画、団地内に5か所の公園、集会所2棟、食品スーパー、バス路線3系統)

郊外住宅団地として造成された東観音台団地は、高台のため瀬戸内海が一望できる眺望の良さや広島市植物公園にも近く、
また小中学校も徒歩圏内にあるため、戸建て住宅による建設が順調にすすめられた。

 開発手法が区画整理事業だったので、造成後の宅地の一部は、旧所有者に保留地として返還、現在も約100区画の保留地が
空き地や駐車場として残っている。

 人口と世帯数の推移でみると、子ども世代が就学や就職等で巣立ち人口は減少しているが、世帯数では保留地に新築入居者
があり増加している。

 団地造成時から、「東観音台団地建築・緑化規定(自主協定)」による、隣地境界との75㎝以上のセットバック、緑化の推
進について届出制を設けている。
                

コミュニティ活動の変遷

平成21990)年、地縁組織として東観音台町内会が誕生した。
 その後,住宅建設が進む中で観音台2丁目、3丁目、4丁目の3町内会に分かれ、すべての活動が新興住宅地のため新しい
創造から始まったが、子育て中の世帯が多く、子どもを介しての親睦を図るコミュニティの輪が少しずつ広がっていった。
 秋祭りにおいても、他地区の町内会に倣い、子ども会が中心となる子どもみこしの町内巡行と、屋台販売等の行事が行われ
るようになったのである。

町内活動では、毎年役員の交代が行われていたものの、住民の参加意欲は高く、特に体育部の創設でスポーツ系男性の積極的
な参加によって、多くのイベント運営で力を発揮した。

平成162004)年、観音西学区町内会連合会を構成する8町内会の子供会連合会が解散、町内の子供会組織が単位町内会に再
編され、秋祭りを担っていた子供会に代わり、町内会が運営を行うようになったのである。

しかし、町内会は、毎年役員も交代制で人間関係の構築も難しく、秋祭りの運営ノウハウも継承が容易ではなかった。

と~かん連合会(と~かんサポートクラブ)が発足

町内会役員を経験した有志が立ちあがり「お祭り委員会」を組織し、企画運営を引き受けた。意欲的なメンバーによる活動で、
それまでに経験したことのない盛り上がりのある秋祭り(東観音台フェスタ)が実現した。この成功体験は、平成172005)年
町内会活動支援を目的とした「東観音台連合会(愛称:と~かん連合会」)が組織化され、さらに活動範囲を拡大するために、
「イベント委員会」、「安全・防災員会」ほか必要な組織が設けられている。

                                  資料提供:公益財団法人 中国地域創造研究センター発行「中国総研2019 Vol.23-2 №87」
                                        「住宅団地とエリアコミニティの構築」 執筆 中倉 勇 氏 
東観音台団地の全景(航空写真2008年11月撮影)

観音台東第一公園付近から
瀬戸内海を眺む(2020年7月撮影)