わがまちについて

私たちの町薬師が丘は広島市の西部植物公園に隣接する団地です。
 
 

団地名称由来

(薬師が丘)の名称由来 保井田薬師堂(正楽寺)縁起
八幡小学校の南隣に、「お薬師さん」の名で知られる「保井田薬師堂」がある。
古来、縁結びや眼病にご利益があるとされ、地域の人々の信仰を集めている。
薬師堂の世話をされている谷口喬さんの話では、毎年2月11日の縁日には、沿道に見世物小屋や屋台が立ち並んで賑わい
戦前は参拝客が3キロメートル先の楽々園まで続いたという。
本尊の薬師如来坐像は、天平3年(731)の行基の作と言われる。
行基は大仏造営の大勧進の勅語を受け全国を巡回し、厳島に向かう沖の船から極楽寺山の方角に瑞光を放つ大杉を見て極楽寺山に登り
この霊木から先ず千手観音(極楽寺山の本尊)を彫刻し、次に薬師仏(保井田の薬師)の像ほか48体の阿弥陀仏を作ったと伝えられる。
行基により創建されたお堂は、当初は現在の薬師が丘1丁目1番地の、通称「岩石單山」(いわぐろやま)に安置された。
その後の大同2年(807)に巡錫中の弘法大師は、この地に立寄り開眼供養を営み、正式に「岩石單山正楽寺」を開き、それ以来真言密教の道場と定めた。
やがてこの正楽寺は「保井田の薬師さん」と呼ばれ人々の信仰を集めた。
 明治12年(1879)に保井田の地から現在地に移設されたが
旧地の裏山を開き造成された「薬師が丘団地」は、これに因んで名付けられた昭和末期の地域名称である。
「里人の語るをきけば浄るりの 仏も古き時代物なり」と、栗本軒貞国氏の名歌はある 正楽寺の紹介記事に掲載されている。

 

歴史

 昭和46年(1971)土地区画整理事業組合 発足
 
             開発許可 認可 五洋建設によって造成開始(1215区画)
 昭和50年(1975)団地造成工事 完成
 昭和51年(1976)地主への換地残 約六割をセントラル開発が第一種専用住宅地として販売開始 同年5月1日 第1号住人 入居
 
             広島市植物公園 開園
 昭和52年(1977)町内会 発足
 
             風の子子ども会 発足
             第1回 薬師が丘親善球技大会 開催(ソフトボール・バレーボール)
 昭和53年(1978)第1回 薬師が丘盆踊り大会 開催
 昭和54年(1979)土地区画整理組合 解散
             薬師が丘団地施設管理組合として住民に移行
             第1回 薬師が丘団地管理組合 総会 開催
             ショッピングセンター トーショク 開店
 昭和55年(1980)第1集会所 落成
             広島電鉄(青バス) 楽々園・広島バスセンター 運行開始
 昭和60年(1985)広島市と佐伯郡五日市町が合併 佐伯区がスタート
 平成 3年(1991)9月 団地広報誌 (薬師が丘)創刊号発行
             台風19号襲来 被害大
 平成 4年(1992)倉重運動公園(団地隣接)造成工事開始
 平成 5年(1993)彩が丘団地(団地隣接)開発計画
 平成 8年(1996)7月 汚水処理施設 公共下水道直結により撤去 跡地公園と第2集会所に決定
 平成 9年(1997)第2集会所 落成
             第1集会所 改修
             倉重運動公園 完成
 平成10年(1998)薬師が丘団地施設管理組合 解散 薬師が丘連合町内会が一括引き継ぐ
             第1回 薬師が丘敬老春祭り 開催
             6・29集中豪雨 発生 被害大
 平成13年(2001)3/24 芸予地震 発生 被害大