わがまちについて

 安北のまちは時代の変遷を経て形成されて来た旧安村の一画にあり、昭和30年代の
集落
は、萩原、大利、巣取地区に百数十軒の農家が中心で今ではその光景を偲ぶこと
は難しい。
 昭和40年代から荒谷山山麓の傾斜地に宅地化が進みベットタウンとして開発されて
来たま
なのです。 
昭和53年、高台に建設され開校した安北小学校は標高が112mの所に在り、いずれの
団地
も位置の高さが想像できると思います。
山を切り開いて開発された団地の生活道路は坂道で急な所も多く、特に高齢者の買い物
院等の日常生活を営む上では相当の負担を強いられております。
 反面環境面では、朝は澄み切った空気の中で日の出を拝み、夕べには山の彼方に沈み
夕日を眺め、夜は市内の夜景を展望できる素晴らしい地域と言えます。 
平成6年、広島市内への交通アクセスとして開通したアストラムラインは利便性を一段
と高め
高層マンション、大型ショッピングセンター、病院など建設が促進され一挙に都
市化へと発展
世帯数、人口の増加をみたまちです。
 
主な施設としては、お不動さん、安北小学校、高取北中学校などがあります。
  
   
  《不動院》
 荒谷山にある不動院は元武田氏の所領。
 武田氏衰退の後は毛利氏の祈願所だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   《広島市立安北小学校》
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
    《広島市立高取北中学校》