出版図書の紹介

 戸坂町
  流谷のゴミ埋立とガス噴出事件
       玉井 冨美夫 著

 わが国の経済は太平洋戦争敗戦のジリ貧の状況から驚異的な復興を遂げ、昭和25年(1950)頃から高度経済成長期を迎えると、大量生産,大量消費の生活様式が形成され,都市部で深刻な廃棄物問題をもたらすようになりました。広島市でも増え続ける莫大なゴミの処理が緊急の課題となってきました。一方の戸坂町では宅地開発に伴う住宅の増加から,昭和411966)年から戸坂小学校の入学児童が増え続け,昭和47年(1972)には新しい小学校と中学校の建設が緊急の課題となってきました。
 

広島市は戸坂町流谷の山林を買収し、谷部に昭和42年(1967)から46年にかけて大量のゴミを搬入埋立処分しました。このゴミの埋立て跡地にマサ土を入れ整地し、戸坂中学校のグランドにする計画で建設工事を進め,昭和47年(19724月に中学校を開校しました。続いて中学校の近隣に戸坂第2小学校(仮称)の建設工事に着手しました。ところが先に建設した戸坂中学校のグランドから有毒なガスが噴出し大問題になり、この対策をめぐって市と関係者の協議は難航を極めました。市の対策は後手、後手に回り戸坂小学校の建設工事は基礎工事を終えて段階で中止になり、これに代わる対策などで混迷し、市は多大で無用な費用(税金)と時間、労力を費やし、大きな社会問題となりました。
  当時の経緯を戸坂アーカイブス委員会でレポートにしました。

 


                                               

 



 昭和20年代の芸備線の思い出

   岡本光晴

 芸備線の沿線に住まわれていた筆者は、毎日決まった時間帯に線路上を走る列車の発する音を聞きながら幼少時代を過ごし、高校生の頃には通学に、社会人になると通勤に利用されてきた。芸備線とともに過ごしてこられたこの年月には、社会情勢の変化や技術革新も進みました。蒸気機関車が牽引して走る旅客列車や貨物列車の時代から、列車輸送がトラック輸送にかわり貨物列車が姿を消し、蒸気機関車はディーゼル機関車に代わり蒸気機関車が姿を消し、現在ではディーゼル気動車が走っています。その時代の要請に応じて設備や施設の改良、改善が図られ、利用者や周辺環境などにも影響を及ぼしてきたことは容易に想像できますが、鉄道マニアの筆者は鋭い観察眼でこの変化を細部にわたって事細かく観察されている。当然のこととして漫然と利用してきた者には目に鱗と教えられることが多く散りばめられています。合理化や効率化のもとに人命が疎かになってはいないかと危惧されていることでも芸備線をこよなく愛してこられた筆者の暖かい眼差しが感じとれます

 

                            


  戸坂のあけぼの
     桧垣 榮次 著
 
 著者の桧垣さんは広島県庁に就職後,高陽ニュータウン内の遺跡、中国縦貫道内の遺跡等の発掘調査を担当され、広島市役所移動後は安佐北区、安佐南区内の遺跡の発掘調査を担当されました。その後、各種文化財の指定、調査、広島城二の丸整備、中小田古墳群の公有化等広島市内の文化財の保護行政にも従事されました。これらの経験と見識をもとに新しい発掘調査等の考察も加えて「戸坂のあけぼの」と題して執筆していただきました。