広島市西区新庄町

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                  新庄の歴史
広島の歴史は埋め立ての歴史で新開(開拓)の歴史と言えます。
太田川の上流からの土砂が積もって小島をつくりこの島と島をつないで広島城下ができ、海辺を埋め立て開拓し現在に至っています。
その昔、この地は沼田郡(ぬまたこうり)と言われていました。明治22年楠木。新庄。打越を合併して、三篠村となり、明治40年の町制により、三篠町と改称されました。
大芝という名は新開地の別称です。大正5年大正天皇御大典の記念事業として、太田川西岸の堤防三百七十九間(約682メートル)を整備し、広大な芝生地の大芝公園に由来しています、その後、吉野桜600本が植栽され、春の開花時には対岸長寿園と共に桜の一大名所だったのです。その後、昭和8年三篠町を分割し、横川、山手、三滝、大芝、新庄、楠木町の名が生まれました。昭和四十三年以来の町名改正により現在の町名になっています。

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