わがまちについて

西区新庄町は太田川放水路の西側に位置していて、安佐南区長束地区と隣接しています、町内には山本川が流れ、はや、カメ、鴨、などが生息しています、昨年河床にホタルの池を、
役員、ボランティアの方のご協力で堀り、町内の子供たちで池にホタルの幼虫を放流しました、エサになる、かわニナも山本川から捕獲して、育てて来ました、6月の初旬から飛び始め
関係者一同感激致しました、今後もホタルが棲める環境を維持して行きたいと、考えています。一年を通じて色々なイベントを企画して町内会活動を活発にすると共に、こどもも大人も
誇れる故郷新庄を目指して頑張って行きたいと考えています。

    町内のお宮の紹介

      新庄子宝地蔵尊
新庄子宝地蔵尊の経歴
太田川放水路が出来る前は、広島には七つの川が在りました。新庄町は、竹藪が両岸に生い茂った山手川が、中央を流れていて、広島は大雨が降ると、すぐに洪水になっていました。被害を無くするために、山手川と福島川を一つにしたのが、太田川放水路の改修工事です。この工事により新庄町は昔の面影が無くなりました。
江戸時代、最末期の慶応年間に新庄在住の子供たちの健やかな成長と、家内安全を祈念して建立されました。昔新庄に山口家という、立派な家があり、屋敷の中にお地蔵さんが祭られていました。毎年秋に近隣の人達を集めて地蔵祭をやっていましたが、山口家が絶えてしまった、昭和29年太田川放水路の改修工事の時、原田睦民氏宅の庭に仮安置されていましたが、住民の方々がお参りしやすいようにとのことで、昭和52年6月に新庄共同墓地の一画にお社を建立し、移設されました。以来奉賛会により、8月下旬の日曜日に地蔵祭を行っています。
このお地蔵さんはご利益があり、お陰で子宝に恵まれたという人が結構あり新庄子宝地蔵尊と言われるようになりました。
奉賛会の会長は原田睦民氏がされていましたが、平成18年に逝去されてから、町内会長が奉賛会の会長をする事になっています。
           新庄天王社
新庄天王神社は素戔嗚尊、牛頭天王を祀っています
素戔嗚尊、は日向高千穂宮を船出し瀬戸之内海に入り道すがら、この新庄の地に
足跡を残されました、出雲の国へ天降り八岐大蛇を退治しました。
その後熊野に上陸険しい山道を三本足の咫烏に先導され吉野を経て大和に向かいました。
金色の鳶が弓に止まり、敗勢を挽回し大和を平定して都を開き神武天皇として初代の天皇になられたと古事記に記されています。また和歌の始祖とも言われ
「八雲経つ出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」の歌を詠まれた。
牛頭天王は除疫神、厄除神で「備後国風土記」に蘇民将来の説話があります
仏教、道教、神道の習合した祇園信仰の中心に位置し京都八坂神社の主祭神として
祀られています。
昔厳島神社の倉敷地であった新庄の里人は大きな天王杉(宮崎の県木 飫肥杉)が
あった天王山に社を建て崇めていましたが、神仏分離により明治5年廃寺となった。
太田川放水路が出来る前は新庄の辺り一帯は天王と言う地名でした。
太田川放水路工事や団地の造成で景色は様変わりしました。
誠城台団地が出来たときに新庄に在住の有志により新庄天王社が再建されたのです。
新庄天王社は家庭円満、厄除開運、病気平癒、学業向上などの祈願についての
御神徳が有りご利益があります
初代の神武天皇を助けた咫烏はサッカー全日本のシンボルマークとなっている三本足の鳥です。

フォトアルバム

新庄天王社

新庄子宝地蔵尊

新庄町 まちの景色

新庄集会所