鈴張の歴史
鈴張(すずはり)
古くは錫張とも書き、太田川支流の鈴張川の上流地域で、この地に鈴を張る鍛冶が居たことによる。(郡中国郡志)戦国期からの地名。鈴張村は、江戸期からの村名で、安芸国高宮郡(もと安北郡)。山繭紬織が有名で、鈴張紬の名で呼ばれた。また、薪は太田川で運ばれ「鈴張村の大センバ」と呼ばれた。明治22年から自治体鈴張村となり、明治31年から安佐郡となる。
(「創立百周年記念誌すずはり」より)
安佐町鈴張
昭和30年に安佐町の大字となり、昭和46年に広島市、昭和55年に広島市安佐北区となる。
(「創立百周年記念誌すずはり」より)
広島市ホームページをご覧ください
位置
鈴張は広島市の北端に位置し、市起点(広島市役所)より北に直線約22㎞にある。
鈴張小学校の地点での緯度は、北緯34度34分52秒、東経132度27分47秒で標高192㍍
鈴張の伝統
花田植え
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鈴張神楽団
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